香港
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- 中華人民共和国香港特別行政区
- 中華人民共和國香港特別行政區
Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China -


(旗) - 地域の標語 : 無し
- 地域の歌 : 中華人民共和国の国歌(地域の歌は無し)

-
公用語 中国語、英語
(本文参照)主都 中西区 最大の都市 沙田区 通貨 香港ドル(HKD) 時間帯 UTC +8(DST: なし) ccTLD .hk 国際電話番号 852
| 香港 | |||||||||||||||||||||||
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| 中国語: | 香港 | ||||||||||||||||||||||
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香港(ホンコン、正式には香港特別行政区)は、中華人民共和国の特別行政区の一つであり、アジアの世界都市である。
目次 |
[編集] 概要
1842年の南京条約などにより清からイギリスに割譲された土地と租借地で、以降はイギリスの植民地となったが、1997年7月1日午前0時(CST)に、イギリスから中華人民共和国へ返還され、特別行政区となった。
古くから東南アジアにおける交通の要所であり、また、自由港であることからイギリスの植民地時代から金融や流通の要所でもある。また、ショッピングや食通の街として栄えているということもあり、世界中から観光客が訪れる。超高層ビルが立ち並ぶ近代的な街並みだけでなく、離島や丘陵地帯などの自然に触れられる場所などの様々な見どころが、領地が狭いために隣接しているのが特徴である。また、マカオや深圳市などの近隣地域と組み合わせて観光するケースも多く見られる。
[編集] 名称
香港(英語: ホンコン、広東語: ヒョンゴン、北京語: シァンガン)という名称は珠江デルタの東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾および沿岸の村の名前に由来する。現在の香港島南部の深湾と黄竹坑にあたる。 「香港」と書いて「ホンコン」と読むが、これは前述の通り、広東語の発音が英語化したものである。
- 正式名称
- 1997年6月30日までは "The Crown Colony of Hong Kong"
- 1997年7月1日からは 「中華人民共和国香港特別行政区」 "Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China"
[編集] 歴史
詳細は香港の歴史を参照
- 1839年:第一次アヘン戦争が勃発。
- 1842年:南京条約で香港島を清朝からイギリスに永久割譲。
- 1858年:原住民差別禁止政策施行。
- 1860年:北京条約で九龍半島南部の市街地を割譲に追加。
- 1865年:香港上海銀行設立。
- 1872年:香港上海銀行が初めて通貨発券。
- 1898年:展拓香港界址專條で深圳河以南、界限街以北の九龍半島、235の島(新界)を99年間の期限付きで租借。
- 1941年:大東亜戦争勃発により日本軍が香港を占領。
- 1942年:日本軍の磯谷廉介中将が香港総督に就任。
- 1945年:日本の敗戦によりイギリスの植民地に復帰。
- 1950年:イギリスが、中国共産党により前年に北京を首都として建国された中華人民共和国を承認し、中華民国政府と国交を断絶する。
- 1967年:文化大革命の影響を受けた中国共産党系住民が暴動を起こす。
- 1983年:アメリカドルとのペッグ制(US$1≒HK$7.8)を開始。
- 1984年:イギリスのマーガレット・サッチャー首相と、中華人民共和国の鄧小平共産党中央委員との間で租借地と割譲地域の返還に合意。
- 1992年:最後の香港総督であるクリストファー・パッテン就任。
- 1997年:租借地と割譲地域をイギリスから中華人民共和国へ返還。
[編集] 地理
詳細は香港の地理を参照
現在の「香港特別行政区」は、香港島、九龍半島、新界及び周囲の南シナ海に浮かぶ235余の島を含めた地域を指す。面積は東京23区の約2倍程度。
ランタオ島(大嶼山)は領域内で最大の島であり、香港島の約2倍の面積を持ち、香港国際空港の空港島が隣接している。2005年9月には島内にディズニーランドが開園した。香港の地形は全体に山がちであり、最高点は標高958メートルの大帽山である。中華人民共和国本土との境辺りを除き平地は少なく、主なものに元朗平原があり、付近の海岸には湿原がある。
[編集] 気候
温暖冬季少雨気候(サバナ気候 - 温暖湿潤気候移行部型)に属し、秋・冬は温暖で乾燥しており、春・夏は海からの季節風と熱帯低気圧の影響で高温湿潤という気候である。
秋はしばしば台風に襲われ、スターフェリーやマカオへ行く水中翼船などの海の便や航空便、2階建てトラムが運行停止になることもある。台風の警報がでると、各種イベントが中止となるだけでなく、学校や企業、官公庁も休みとなる。
冬は北風が中国大陸から吹くため、中華人民共和国本土の埃や環境対策が進んでいない工場からの排気や自動車の排気ガスなどで汚染された空気が入り込んで来ることが多く、そのために近年は霧や靄が発生することが多くなっている。
| 香港の平均気温 | |||||||||||||
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| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 平均最高気温 °C (°F) | 18.6 (65) | 18.6 (65) | 21.5 (71) | 25.1 (77) | 28.4 (83) | 30.4 (87) | 31.3 (88) | 31.1 (88) | 30.2 (86) | 27.7 (82) | 24.0 (75) | 20.3 (69) | 25 (77) |
| 平均最低気温 °C (°F) | 14.1 (57) | 14.4 (58) | 16.9 (62) | 20.6 (69) | 23.9 (75) | 26.1 (79) | 26.7 (80) | 26.4 (80) | 25.6 (78) | 23.4 (74) | 19.4 (67) | 15.7 (60) | 21 (70) |
| 降水量 mm (inches) | 24 (0.9) | 52 (2) | 71 (2.8) | 188 (7.4) | 329 (13) | 388 (15.3) | 374 (14.7) | 444 (17.5) | 287 (11.3) | 151 (5.9) | 35 (1.4) | 34 (1.3) | 2,382 (93.8) |
| 出典: 香港天文台[1] 2008年 | |||||||||||||
[編集] 人口
ビクトリアピークの山頂のからビクトリア・ハーバーを眺める。香港は平地は少ないが人口は多い。そのため市街区の人口密度は極めて高く、数十階を有する高層ビルが多数ある
香港特別行政区政府統計処が公開したデータによれば、香港の人口は2007年6月現在で692万1700人、前年同期比0.9%の増加であったという。香港は狭い面積であるにもかかわらず北欧並みの人口である。香港の大部分は居住困難な山岳地域にも拘らず、わずかな平地に膨大な人口を抱えるため、緑豊かな山岳地域のわずかな平地部分に超高層ビル群が林立する奇抜な景観を有する。全世界で最も人口密度が高い地方の一つで、1平方キロメートルあたりの人口密度は6,270人であるが、平地部分に限定すれば、20万人以上にもなる。香港の出生率は1000人あたり9.6人(2006年)で、世界でも低水準にある。
香港島北部のわずかな居住地域と九龍半島への人口の集中が著しい。面積は両者を合わせて127.4平方キロメートルと香港全体の面積の12%足らずにすぎないが、この範囲の中に香港の総人口のおよそ半分にあたる約350万人が居住している。九龍地区の1平方キロメートルあたりの人口密度は43,030人、同じく香港島は15,920人である(何れも2006年)。
香港の人口で最も多いのは「華人」と呼ばれる中国系で、全体の95%近くを占める。華人以外で多いのはメイドなどの出稼ぎ労働者として多くが働いているフィリピン人やインドネシア人で、その次に多いのがアメリカ人、次いで元宗主国のイギリス人である。日本人は約2万人いる。
[編集] 行政区分
香港には、18の行政上の下部地域(区(繁体字表記では「區」))がある。1982年に区議会が設置されたのが、区の由来である。その後、九龍地区から新界への人口移動に伴い、区の再編が行われている。1985年に、荃湾区から葵青区が分離した。1994年には、油尖区と旺角区が合併し、現在の油尖旺区となった。
[編集] 政治
詳細は香港の政治を参照
香港の政治は今日、イギリス植民地時代の行政府・官僚主導の政治から、中国共産党率いる中華人民共和国へ返還、移譲された後の一国二制度(香港行政区基本法)下においての民主化および政党政治への移行期にある。また、一国二制度の採用で2047年まで資本主義のシステムをとり続けることとなっている。 香港は、1997年に中華人民共和国に返還され、香港特別行政区および同政府が成立した。香港特別行政区は中華人民共和国において、省や直轄市と同等で並ぶ地方行政区とされる。ただし、中華人民共和国憲法31条および1990年に制定された香港特別行政区基本法に基づき、返還後50年間、自治権の付与と本土と異なる行政・法・経済制度の維持が認められている。また、「中国香港」の名義により、経済社会分野における国際組織や会議への参加も認められている。
しかし、香港は「高度な自治権」を享受しているが、「完全な自治権」を認められているわけではない。首長である行政長官は職域組織や業界団体の代表による間接選挙で選出されることになっており、その任命は中央政府(国務院)が行う。
現在、行政長官ならびに立法会議員の「直接選挙(普通選挙)による選出を何時からにするか」が議論の焦点になっており、民主派は2012年からを、親中派は2024年からを主張している。長官選については、2007年12月29日に全国人民代表大会(全人代)常務委員会が2017年に実施される選挙において「直接選挙を先行実施してよい」と容認姿勢を表明、一方で立法会議員の直接選挙については時期は定めていない。
司長や局長(英語ではいずれもSecretary、閣僚に相当する)は、行政長官の指名を受けて、中央政府が任命する。行政長官と司長局長クラスのみは中国籍の人物でなければ就任できないが、それ以外の高級官僚(部長クラスなど)にはイギリス人や英連邦諸国出身も少なくなく、新規の採用も妨げられていない。一例を挙げると主要地区の警察署長には現在もイギリス人が多い。
また、香港行政区基本法の改正には全人代の批准が必要であり、香港特区内では手続きを完了できない。同基本法の解釈権も、全人代常務委員会が持っている。このように全人代が基本法の制定権と解釈権を併せ持っているために、2007年の完全民主化を事実上阻んだ2004年4月の全人代による基本法解釈のように、恣意的な拡大解釈すら可能である。香港の司法府たる終審法院は香港特区内の事柄について限定的にしか行うことができない。これは、香港が独立という選択肢をもたない従属領域であり、また中国当局がそれを防ぐため香港に完全な自治権を与えないとの方針を持っているためである[2]。
このように香港の政治は、中国共産党の一党独裁の下にある中華人民共和国当局の制限の元に運営されている。だが、香港の社会は植民地時代から民主主義がないまま、言論や結社の自由を享受してきた。また、香港は中華人民共和国本土経済にとっても、企業の株式上場や資金調達、諸外国との貿易、投資の中継地として重要である。そのため、中華人民共和国当局も香港の民主主義や自由そのものを否定すれば、諸外国の香港に対する法治や経済制度に対する信頼まで失う恐れがある。さらに香港における民主化の試みには、中華人民共和国本土での民主化の実験として、近代の中華人民共和国の政治の文脈においても大きな意義がある。
[編集] 司法
中華人民共和国内とは異なり、『香港特別行政区基本法』に基づき、英米法(コモン・ロー)体系が施行されている。基本法の規定により、中華人民共和国内の法律は「別段の定め」がない限り香港では施行されない。よって、基本法の解釈問題以外の法体系はイギリス領時代と全く同一である。したがって、死刑制度も存在しない。
さらに、返還によりイギリス領ではなくなったためにロンドンに終審法廷を求めることはできなくなった。そのために1997年7月の返還と同時に裁判も原則として、香港域内で完結する必要性が生じた。そのため、返還後、最高裁判所に相当する終審法院が設置された。この時点で新たに設置の終審法院の判事のために5名以上のベテラン裁判官がイギリスから招聘された。返還後の司法体制のために旧宗主国から高官にあたるイギリス人の人材を新たに招くという「珍事」は中華人民共和国が英米法を厳格に適用するための人材について不足していることを率直に認めたことを現しており、意外な「柔軟性」あるいは「現実適応性」を持つ面を確認する事象であったといえる。
終審法院の下には高等法院(高裁)、区域法院(地裁)、裁判法院(刑事裁判所)などがある。裁判は三審制である。ただし、基本法の「中央に関する規定」および「中央と香港の関係にかかわる規定」につき、条文の解釈が判決に影響を及ぼす場合、終審法院が判決を下す前に全人代常務委員会に該当条文の解釈を求めることとされる。(香港司法機構を参照。)
[編集] 対外関係
詳細は香港の対外関係を参照
香港特別行政区は、基本法の定めにより、経済社会分野の条約を締結したり、国際会議や国際機構に参加することができる。しかし、外交は中央政府の権限である。そのため、外交部駐香港特派員公署が設置され、香港の外交事務を管轄している。
ただし、香港政府も独自の在外駐在機関を設けている。国外の香港経済貿易弁事処は工商及科技局下の工業貿易署が形式上管轄する。中華人民共和国本土にある駐広東香港経済貿易弁事処と香港特別行政區政府駐北京辦事處は、政制事務局が管轄している。しかし、前者も実際には、工商及科技局の本来業務の枠を超えた活動をしている。そのため、政制事務局が実質的に香港の対外事務を扱っていると考えられる。
香港域内でも、香港政府に外交権限がないことの不利益が次第に認識されている。香港特別行政區政府駐北京辦事處も以前は政務司長(政務長官)の管轄であったが、2005年の行政長官施政方針において対中央(中華人民共和国本土)政策を政制事務局に集中することが打ち出され、現在のようになった。
なお、中華人民共和国と対立している中華民国の航空会社や船舶の香港への乗り入れや、同国民の香港への渡航条件は返還、譲渡前と変わらない。
[編集] 軍事
返還前はイギリス軍が昂船洲(ストーンカッタース)や赤柱(スタンレー)などの基地に正規兵のほかにグルカ兵などの傭兵を含む海軍、陸軍部隊(駐香港イギリス軍)を駐留させていた。同司令官は香港総督の下に位置した。
返還後にはイギリス軍に替わり人民解放軍駐香港部隊が駐留している。人民解放軍駐香港部隊の司令部は、返還前まではイギリス軍の司令部が置かれていたセントラルのプリンス・オブ・ウェールズ・ビル(現在は「中国人民解放軍駐香港部隊大厦」)にある。人民解放軍駐香港部隊司令官は、中央軍事委員会および国務院国防部の下にある。香港行政長官には部隊への指揮権がない。
基本法の規定により、イギリスやイギリスの同盟国であるオーストラリアやアメリカを含む外国艦艇の休暇上陸(レスト&レクリエーション)を含む寄港は返還後も中央政府の同意を経て可能とされている。ただし、中央政府の意向により寄港が許可されないケースもある。
[編集] 経済
その成立背景から、規制が少なく低税率な自由経済を特徴とする。食料や日用品などの対外依存度が高い。もともとイギリスの対中国貿易の拠点であったことから中継貿易が盛んであった。第二次世界大戦後の1949年に中国共産党率いる中華人民共和国が成立すると、中国大陸本土からの移民が押し寄せた。そのため、安い労働力を活用した繊維産業やプラスティック加工を中心とする製造業へ産業構造を転換した。
1970年代からは、香港政庁が新界の住宅団地開発や地下鉄建設などインフラ建設を開始し(詳細は積極的不介入を参照)し、香港経済は急速な発展を遂げる。そして、1970年代後半になると労働コストの上昇や工業用地不足などの問題にも直面し始めた。
しかし、中華人民共和国の改革開放を受け、1980年代、従来の製造業は広東省の深圳市や東莞市を初めとする珠江デルタへと移転した。こうして香港は、中華人民共和国を後背地とする金融センター・物流基地へ転換した。
1997年の返還後も中華人民共和国本土への依存は深まり、2003年には中国本土・香港経済連携緊密化取決めの第一段(CEPAⅠ)が中華人民共和国本土と香港の間で調印され、その後も補充協議が実施・締結されている。さらに広東省のイニシアティブによる汎珠江デルタ協力(9+2協力)にも参加している。
なお、イギリス時代から高度に整備された民法と税制上の優遇措置、高い教育程度と豊富な英語人口などから、オフィスや住宅の家賃がアジア地域のみならず世界でも最も高いとされる。にもかかわらず、多くの欧米企業は中華人民共和国や日本を含む東アジア全域またはアジア全域を管轄する地域統括本部を香港に設けることが多い。2008年6月、米国のマスターカード・ワールドワイドが発表した世界ビジネス都市ランキングの総合結果では香港は世界第6位の都市に選ばれている。[1]
香港のGDPの80%をサービス産業が占める。また観光産業がGDPの約5%を占める他、古くから映画産業が盛んである。香港経済界の代表的人物は長江集団を率いる李嘉誠である。
[編集] 企業
香港の企業一覧も参照
電力や通信などのインフラストラクチャーから建設や運輸、金融や流通、サービス業やマスコミまで、様々な業種の大企業が揃っており、東南アジア圏内や中華人民共和国、日本へ進出している企業も多い。
主な財閥・企業グループは、イギリス系、華人(香港人)系、中国本土系の三つに大まかな分類ができる。華人系には長江集団や会徳豊などがある。また、伝統的にはイギリス系のジャーディン・マセソンやスワイヤー・グループ、香港上海銀行が有力だが、前二者は1970年代以降、華人系財閥による買収などで勢力を縮小させている。さらに中国本土系の企業としては、華潤集団、招商局、中国銀行 (香港)、中国旅行社やCITICがある。
[編集] 金融
[編集] 貨幣・金利
貨幣である香港ドルは、イギリス系の香港上海銀行とスタンダード・チャータード銀行(香港渣打銀行)、中国銀行 (香港)によって発行されている。ただし、10香港ドル紙幣の一部と硬貨は、香港金融管理局が発行している。また、イギリスの植民地時代に発行されたエリザベス2世女王の横顔入りのコインも引き続き使用している。
なお、返還後の2001年に金利が自由化されたものの、2005年5月18日にアメリカドルとのペッグ制から目標相場圏制度に移行されたことにより、金利は基本的にアメリカ合衆国の金利動向に追従する。
- 外貨準備高
- 1,360億USドル(2007年5月末、世界第9位)
[編集] 証券
主要な証券取引所として、1891年に開設された香港証券取引所(香港交易所/Hong Kong Stock Exchange)があり、東京証券取引所やシンガポール証券取引所と並び、アジアを代表する証券取引所となっている。市場の動きを表す指数として、代表36銘柄を対象として時価総額加重平均で算出した「ハンセン指数(恒生指數/Hang Seng Index)」がある。
- 株式市場
- 上場株式時価総額:1兆6,922億USドル(2007年2月)
[編集] 運輸
- 海運
- コンテナ取扱量 1,914万TEU(20フィートコンテナ換算,2002年)
- 空運
- 取扱貨物 248万トン(2002年)
[編集] 建築
[編集] 超高層建築
香港では、特に中心部の市街である香港島北部において、山がちで狭い地勢からヴィクトリア湾沿いに超高層建築が林立している。1972年に建てられた中環 (Central) のジャーディーン・ハウス(怡和大廈: Jardine House: 地上52階建・高さ178.5m)を皮切りに、現在では世界第5位の高さを持つ、2003年竣工でシーザー・ペリ (Ceser Pelli) 設計による国際金融中心・第二期(地上88階建、高さ415.8m)を筆頭に数多くの超高層建築が見られ、中には1985年竣工のノーマン・フォスター (Sir Norman Foster) 設計による香港上海銀行 (HSBC) ・香港本店ビルや、1988年竣工のポール・ルドルフ (Paul Rudolph) 設計によるリッポーセンター(力寶中心:Lippo Centre)、1990年竣工のイオ・ミン・ペイ(I・M・Pei、貝聿銘)設計による中国銀行タワー(中銀大廈:Bank of China Tower)など世界的に著名な建築も含まれる。
2010年には、西九龍 (West Kowloon) 地区のユニオンスクエアにKPF設計の環球貿易廣場(International Commerce Centre:地上108階建、高さ484.0m)が完成し、これは今後香港で最も高い建物となる予定である。
加えて香港島の向い、ヴィクトリア湾を挟んだ九龍半島側にも超高層建築郡ができつつある。これは九龍市街の埋立てが近年急速に進んだこと、そして1998年に九龍灣地区にあった啓徳空港 (KaiTak Airport) が廃港となり、九龍上空の建設規制が大幅に緩和されたことによる(「再開発」の項で詳述)。
現在、香港の超高層建築の集積率は世界で2番目に多く、これはアメリカ合衆国のニューヨーク市、マンハッタン地区に次ぐものである。
主な香港の超高層建築は次の通り。
- 現在完成している主な超高層建築
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- 国際金融中心・第二期 (Two International Finance Centre) :地上88階建・高さ415.8m…2003年竣工/箇所:中環
- セントラルプラザ (中環廣場:Central Plaza):地上78階建・高さ374.0m…1992年竣工/箇所:灣仔
- 中国銀行タワー (中銀大廈:Bank of China Tower):地上72階建・高さ367.4m…1990年竣工/箇所:金鐘
- ザ・センター (中環中心:The Center):地上73階建・高さ346.0m…1998年竣工/箇所:上環
- ニーナタワー (如心廣場:Nina Tower One and Two):地上80階建・高さ318.8m…2006年竣工/箇所:荃灣
- 長江センター (長江集團中心:Cheung Kong Center):地上63階建・高さ282.9m…1999年竣工/箇所:金鐘
- 現在建設中の主な超高層建築
またビル建設時に用いる作業員の足場として、殆どの建設現場で大量の竹材が使用される。これは香港に隣接する広東省などで、丈夫で安価な竹が大量に入手できるからである。この竹材の足場を用いて高層ビルを建設すると言う方法は香港の他、マカオ特別行政区、台湾、中国大陸などで見られ、アジアの一部地域特有の光景となっている。
[編集] 再開発
近年は啓徳空港が廃止されランタオ島沖の新香港国際空港に移転したことで、九龍地区の高さ規制が外され再開発事業が活発に行われている。九龍・旺角地区の『ランガムプレイス』(朗豪坊:Langham Place、地上59階建て、高さ255.1m)などはその代表格である。
また西九龍地区ではオフィス、住居、ショッピングモール、ホテルなどを兼ね備えた巨大複合施設の『ユニオンスクエア』 (Union Square) が2010年に向け建設中であり、ここに隣接して『西九龍文化施設群』 (West Kowloon Cultural District Project) と呼ばれる現代美術館や劇場、ホール、展示場、スタジアムなどを兼ね備えた文化施設が建設される見込みである。啓徳空港跡地のある九龍城地区や九龍湾地区では、空港用地跡の敷地を利用して、オフィスと住居を主体とした複合施設を建設する計画がある。
香港島北部の市街地、特に灣仔 (Wan Chai) 地区でも環境整備と言う名目で再開発が進められているが、ここでは古くからの街区と言うこともあり抗議活動が展開され、急激な開発は元来居住している住民の同意を必ずしも得られていない実情も垣間見られる。
[編集] 住居
伝統的な村落の形式は、外部の者の攻撃や盗難を防げる「圍」(ワイ)と呼ばれる城壁の中に切妻の家を立てるのが普通であった。この形式は、現在も新界の客家集落に一部残されている。また、現在では見掛ける機会はほとんど無くなったが、香港島南部の香港仔や九龍の深水埗、新界の西貢などでは、古くから蛋民などと呼ばれる、水上生活を営むものも見られた。
イギリスの統治が始まると、洋風建築もでき、第二次世界大戦以前の中心地区ではコロニアル・スタイルの建築が印象的だったが、大戦以後は国共内戦後の中華人民共和国からの難民によって建築様式が変更された。
1950年代までは1階が店舗で、2階が住居である伝統的なショップハウスと呼ばれるスタイルを踏襲していたが、1950年代以降はそれまでのショップハウスの柱廊を取り払い、中層化したペンシルビルになった。また急激な人口増加に対応するため、1950年代から1960年代には九龍などの郊外に、政庁はプレハブ方式による下層が工場、上層がアパートである同規格の建築群を大量に建設した。また香港への難民の流入による住居の特異な例として、九龍の九龍城地区に存在し1994年に取り壊された、九龍寨城などの例も挙げることができる。
この時期までの、香港の住環境は必ずしも良好と呼べるものではなく、この状況を改善するべく1980年代以後は政庁主体で計画的な大規模開発が行われ、低層部に商業施設を造り、その上に庭園付きの高層住宅を造るスタイルが一般的になった。
現在では、政府と民間開発業者の主導で九龍地区や新界地区の沙田、元朗、将軍澳、青衣、そしてランタオ島の東涌などを中心に超高層住宅を伴う大規模なニュータウンが建設され、同時に鉄道網も整備されている。また、香港島や九龍地区などでも超高層マンションが数多く建設されており、中には高さが250mを超える建物も幾つか完成している。 この事から「日本の住宅がウサギ小屋なら、香港は蜂の巣だ。」と言われるようになった。
香港の住宅価格は非常に高く、ニューヨークやロンドン、東京など世界的に高値と認識されている都市の水準に迫るか、場合によってはそれを上回る価格で取引が行われることもある。これはオフィスや工業用地など、香港の不動産全体に対し共通して言える現象でもある。
香港は元々狭小な領域しかない上、山がちで不動産開発の容易な平地が少なく、また駐車場用地や関税の問題から自家用車などの容易な所有が難しいため、公共交通機関の発達している市街中心部や要衝へと需要が集中している。このため不動産の価格が押し上げられ、結果的に海岸部の埋立てが加速的に進み、市中に超高層建築が林立した。半山区や跑馬地などの高級住宅地では、隣接する山地の中腹に山自体を越える様な高さの超高層住宅を建設することも珍しくない。
- 香港の主な超高層住宅
[編集] 観光
観光産業が経済的に大きな位置を占めるということもあり、香港政府観光局とによる海外での宣伝、誘致活動が大々的に行われており、現在、観光親善大使を香港出身のハリウッドスターであるジャッキー・チェンが務めている。
香港島中西區には香港上海銀行 (HSBC) や中国銀行・香港分行、香港国際金融中心 (IFC) などをはじめとする超高層オフィスビルやホテルが、九龍城區、油尖旺區等の繁華街には大規模なショッピングモールや様々なジャンルのレストラン、高級ブランドのブティックやエステサロンなどが立ち並び、活況を見せている。
また、古くから「100万ドルの夜景」の異名を持つほど夜景が美しいことで世界的に知られており、特に香港島のビクトリア・ピークからの夜景や、油尖旺區のビクトリア・ハーバーにあるウォーターフロント・プロムナード近辺から見る香港島の夜景は壮観である。12月のクリスマスシーズンから旧正月にかけては、ビクトリア・ハーバー沿いに建つビルに特別のイルミネーションが施される。
郊外や島嶼部に行くと昔ながらの風景を楽しむことができる他、自然が多く残されており、ハイキングなどを楽しむことができる。また、2005年9月に香港の新たな名所として香港ディズニーランドがオープンした。
近い上に観光資源が豊富なことから、1970年代の海外旅行ブームのときより日本人の間で人気の旅行先としての地位を保っている。また、それに対し近年は日本が香港市民の人気の旅行先として定着しており、当初は東京(東京ディズニーランドや原宿など)を主な旅行先とするケースが多かったものの、近年は東北地方の温泉地巡りや、北海道でのスキー、大阪や九州のテーマパークなど、その目的地が日本全国へと広がっており、香港市民の日本へ対しての興味の幅広さがうかがわれる。
[編集] 観光スポット
- 香港島
- レパルスベイ(淺水湾)
- スタンレー・マーケット(赤柱市場)
- アバディーン
- ディープ・ウォーター・ベイ
- ジャンボキングダム(珍賓王国/水上レストラン)
- オーシャンパーク(海洋公園)
- 九龍
- ウォーターフロント・プロムナード
- アベニュー・オブ・スターズ(星光大道)
- 香港芸術館
- 香港スペース・ミュージアム(香港太空館)
- 香港歴史博物館
- ネイザンロード(彌敦道)
- 九龍公園
- 香港文物探知館
- 啓徳空港跡地(啓徳機場痕跡地)
- 男人街(テンプル・ストリート(廟街)の通称)
- 女人街(通菜街の通称)
- 黄大仙廟
- ウォーターフロント・プロムナード
- 香港島・九龍間
- ビクトリア・ハーバー(維多利亞港)
- スターフェリー(天星小輪)
- ビクトリア・ハーバー(維多利亞港)
- 新界
- 離島部
- ランタオ島(大嶼山)
- 香港ディズニーランド(香港迪士尼樂園)
- ポーリン寺(寶蓮寺)
- ゴンピン360(昂平360)ロープウェー
- ラマ島(南丫島)
- 長洲島
[編集] ホテル
コンデナスト・トラベラーやインスティテューショナル・インベスターなどのホテルランキングで高い評価を受ける超高級ホテルや国際的チェーンホテルから、長期滞在者向けの低価格宿泊施設までさまざまなホテルが揃っている。
- ザ・ペニンシュラ香港
- マンダリン・オリエンタル香港/ザ・ランドマーク・マンダリン・オリエンタル
- インターコンチネンタルホテル・香港
- カオルーン・シャングリラ/アイランド・シャングリラ
- シェラトン・香港
- グランドハイアット・香港
- コンラッド・香港
- ホテル・ニッコー・ホンコン
- 重慶大厦
[編集] 交通
詳細は香港の交通を参照
[編集] 通信
香港では郵便、電話、インターネットなど地球上で使用可能な通信手段は概ね全て享受でき、サービス品質も世界の国と地域の中で最も高い部類に入る。ただし、電報は利用者が減り、サービスが終了した。電話に措いては多数の通信運営会社が設立され、各社の自由な競合の結果、香港の固定電話や携帯電話市場で消費者は安価で良質なサービスが受けられるようになっている。
[編集] 郵便
香港での郵便事業は香港郵政 (Hongkong Post) が行っており、これはイギリス統治時代から引き継がれたものである。1997年の中華人民共和国への返還後も、中国郵政とは切り離して運営されている。ただし返還にあたっては、香港郵政のCIが変更されるなどの変化が見られた。現在、香港にある郵便ポストの色は「深緑」であり、これはコーポレートカラーにもなっている(イギリス統治のロイヤルメール時代は、香港郵政のコーポレートカラーは「赤」であった)。万国郵便連合 (UPU) に準拠する。
[編集] 電話(固定電話)
固定電話同士の市内間通話料金は、基本的に無料である(データ通信は課金対象となる)。香港の固定電話事業のサービスは数社が行っている。最大手は電訊盈科(PCCW)で、その後に和記電訊 (Hutchison Telecom) や新世界電訊 (New World Telecom) などが続く。香港では固定電話にも
