附属池田小事件 - Wikipedia

附属池田小事件

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附属池田小事件
場所 日本 大阪府池田市
標的 民間人
日付 2001年6月8日
攻撃手段 包丁
死亡者 8人
負傷者 15人

附属池田小事件(ふぞくいけだしょうじけん)とは、2001年6月8日大阪府池田市で起こった小学校無差別殺傷事件である。

目次

[編集] 概要

[編集] 事件の動機・逮捕後

大阪教育大学附属池田小学校に侵入した宅間守(当時37歳)が児童8名(1年生1名、2年生7名)を殺害し、児童13名・教諭2名に傷害を負わせた。その後、宅間は殺人罪などで逮捕・起訴された。彼の事件の動機は「今迄散々不愉快な思いをさせられ、何もかも嫌になった。自殺しても死に切れない。いっその事大量殺人をして死刑になりたい。」と思った事だった。その背景にはアパート家賃闇金融中古車の未払い金等の取り立て、彼が中学生の頃から25年来患っているうつ病等が関係しており、事件の1ヶ月前の2001年5月頃に実家の父親に「体調が悪くてメシが食えない」と電話したが「首でもくくれ」と冷たくあしらわれた事もあった。

宅間は逮捕当初、精神障害者を装った言動を取っていたが、これは彼が15回近くに亘る刑事犯罪において、自らの精神科通院歴を楯に不起訴処分(あるいは保護観察処分)という比較的軽い処分を経験したという経歴と無関係ではないと思われる。また、この事件は精神障害者の責任能力の問題が注目される契機の1つとなった(実際に宅間は障害者であり、書類上では「身体・精神」だったが、実際のところは、起訴前と公判中に2度行われたいずれも70日間の情状鑑定の結果によれば「身体・知的」だった。大阪地方検察庁の検事が公判中に証言した。)。

[編集] 公判

公判では、「下関通り魔事件の模倣犯になりたかった」と供述していた他、裁判長に対して「命をもって償います」と発言していた一方で「おう、座っちゃあかんか?」「死ぬ事には全くビビっていない。死は一番の快楽」「反省の気持ち無い。自分への後悔だけ」「幼稚園ならもっと殺せた」「世の中の奴はみんな敵や」「答えても答えなくても刑は一緒。絞首台に上がる迄は秘密や」「しょうもない貧乏たれの生活やったら今回のパターンの方がマシ」「家が裕福で勉強の出来る子供でも何時殺されるか分からない不条理さを世間に分からせたかった」「父親を殺していれば・・・もっと別の人生があった」「ダンプで大阪・ミナミの商店街に突っ込もうと思った」「ワシをなめとる。30秒あれば一人位は殺せる。かかってこい。」「お前ら等直ぐに潰せる」「最後に言わせろや。どうせ死刑なんやから」等と暴言を吐いたり、足を組んだりアクビ貧乏ゆすり等をしていたり、裁判官を睨みつける等の悪態をついていた。その悪態ぶりに対し裁判長からは「立って聞いていなさい」「足を組むのを止めなさい」等厳しく注意し、傍聴者席からは「宅間、早く死ね」「一人で死ね」等の怒号が飛び交っていた。また、遺族に対して「あの世でお前らのガキをしばいたる」「お前らのクソガキ8人の命はワシ一人を殺して終わりの程度の価値やったんやぞ」等と中傷発言迄して、わずか一分足らずで退廷を命じられた。

2003年8月28日大阪地方裁判所にて死刑判決を言い渡された。この判決公判では法廷にテレビカメラを設置し、別室に設けたテレビモニターで傍聴できた。同年9月10日に弁護団が控訴するも、9月26日に宅間が控訴を取り下げ、死刑判決が確定した。なお、宅間は初公判でのみ反省と謝罪の弁を口にしたことがあるが、大阪地方検察庁の検事が週刊新潮のインタビューに対して「この反省と謝罪の弁は本物だった」との証言をしている。公判後、宅間は「何も言えないよりは良かった。本当ならば4人の遺族を名指しで批判するつもりだった。」「刑事責任能力がそこ迄認められたなら控訴しても仕方ない」と述べている。

[編集] 死刑確定後

宅間が主任弁護人に送った文書で、刑事訴訟法第475条第2項で規定された「死刑確定後の6か月以内の死刑執行」を訴えていた。また宅間は「死刑は、殺される刑罰や。6か月過ぎて、何時迄も何時迄も嫌がらせをされる刑罰ではない。すぐ殺せば、ダメージがないので、しばらく嫌がらせをしてから執行する。そんな条文があるんか。法律家ならワシの身になれや。法律を遵守するのが法律家の仕事やろが」と主張していた。宅間は死刑が6か月以内に執行されないと、精神的苦痛を理由とする国家賠償請求訴訟及び法務大臣野沢太三(当時)に対する特別公務員暴行陵虐致傷罪での刑事告訴を起こす準備をしていた。

刑事訴訟法第475条では死刑確定後、6か月以内に執行することが定められているが、但し書きに再審請求など一定の条件下では延期することも可能とされている。また死刑存置派の一部が主張するように、早期に死刑執行が行われないのは死刑廃止論者に配慮したものではなく、法務省刑事局で行われる死刑執行手続きが厳格かつ慎重に行われているとされており、事実上6ヶ月は「努力目標」にすぎない。死刑囚本人の精神状態も配慮されるため、この但し書きによって死刑執行が延期されることがほとんどであり、また実際には6か月以内に執行された例はほとんどない[1]

また日本では死刑判決確定後に一定期間が経過すれば自動的に死刑が執行される制度ではない[2]。そのため宅間本人が死刑囚としての処遇から抜け出すために早期の死刑を望んだとしても無理なことであった。そのため宅間が特別公務員暴行陵虐致傷罪で告訴しても受理される見込みはなかったといえる。

[編集] 死刑執行

死刑確定から1年近く後の2004年9月14日大阪拘置所にて死刑が執行された。野沢太三法務大臣が、結果的に彼の望んだ早期の死刑執行を実現した[3]。死刑確定から約1年での死刑執行は、比較的近い例としては1975年北九州市暴力団幹部ら4人を殺害し、1977年2月に死刑判決を受け、6月に自ら控訴を取り下げて判決を確定させ、翌1978年11月に福岡拘置所で刑が執行された元暴力団員がいるものの、近年の日本ではきわめて異例のスピード執行であったといえよう。彼が最期に残した言葉は「有難うと僕が言っていたと妻に伝えて下さい」とされる。死刑執行の前、宅間はタバコとジュースをゆっくり味わっていたという。だが、最後迄遺族への謝罪は無いままの死刑執行であった。

この事件で死亡した2年生7名は、2006年に同級生と共に特別に卒業証書を授与され[4]、「小学校を卒業」という形になった。さらに、翌年にはこれと同様に、死亡した1年生1名に卒業証書が授与された。

[編集] 学校側の対応不足

文部省(当時)は、1999年(平成11年)12月に京都市立日野小学校で発生した児童刺殺事件後に「安全管理に関する通知」を出しているが、附属学校を設置管理する文部省及び大阪教育大学では各附属学校の安全措置の状況を把握していなかった。通知に関しては、教職員に対して一度口頭で伝えたにとどまり、それ以外の格別の対応をとっておらず、事件当日も不審者に対して教職員による十分な対応がなされていなかったことが、被害生徒の救助の遅れや犯人逮捕の遅れにつながった。犯人を取り押さえてから警察による犯人逮捕までの間、学校側による状況把握ができず、管理職や教務主任は混乱の中で事件の全容をつかめなかったほか、組織的な対処行動[5]ができなかったため、死亡した8名の児童は20分前後も放置されてしまった[6]

混乱の中、保護者への児童の搬送先病院の連絡も遅れていた。事件直後、ある死亡児童の保護者は早い段階で来校したにもかかわらず、学校内で負傷していた児童に会うことも付き添うこともできなかった末、自力で探し回った病院で死亡した我が子と対面することとなった。さらに事件後において、学校からの説明や弔問が遅れただけでなく、教員の心ない表現、発言および行動が遺族の心を大きく傷つけた。

参考:(いずれも大阪教育大学付属小学校ホームページより)[7] [8] [9]

[編集] 事件の影響

この事件をきっかけに、学校(小学校など)、幼稚園保育所などの青少年やこどもたちが頻繁に利用される教育関連施設にも「警察官立寄所」の看板(プレート)が設置されたり、学校にも部外者の学校施設内への立ち入りを厳しく規制したり、警備体制を強化するなどの方策を主張する声も増えた。また、防犯ブザーを携帯する児童も増加した。この事件は、日本の学校がそれまでの「地域に開かれた学校」から安全対策重視の「閉ざされた学校」に方針転換するきっかけとなった。それまで小学校は、地域のコミュニティに重要な役割を果たし、校庭は子供たちの遊び場にもなっていた。この事件後は学校に監視カメラを設置したり、部外者の立ち入りを禁止したりする傾向が強まった。小学校などの学校への警備員配置、集団登校も行われるようになった。

被害に遭った附属池田小学校は、この事件の風化を避けたいことや施設の老朽化などの関係性から校舎建て替えを余儀なくされ、自治体は「子供110番」「学校安全ボランティア」「学校安全対策委員会」などさまざまな対策を試みている。多くの学校がそれまで日中開放していた門扉を登下校時以外は閉ざし部外者の立ち入りを厳しく警戒するようになった。PTAの中には、保護者や地域住民有志に腕章を配り来校時に装着するよう求めるところもあった。

なお、心神喪失と認められ、無罪あるいは不起訴処分となった者に対する処遇のあり方について議論された。それまでは、精神障害者に対して司法機関が関与して処遇が行われることは、保安処分として極めて抵抗感が強かったが、この事件以降に「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」が制定された。保護観察所社会復帰調整官精神保健福祉士)が置かれ、社会復帰調整官が中心となって医療観察が実施されることとなった。

また、殺人事件などの重大犯罪に対する刑が厳罰化されるなど、抑止力に重点を置いた刑法の改正も行われている。

生徒や教職員、保護者の中には心的外傷後ストレス障害(PTSD)に未だ罹っている人もいる。又、「あの時ああすればこの事件が起きなかったのに(または被害を抑えられたというのに)」というサバイバーズ・ギルト、いわゆる「見殺しにしたという自覚」ともとれる自責の念に駆られている教員もいる(一審の最終弁論で現行犯逮捕に携わった教員の証言)。

[編集] その他

「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」の所在地周辺では、「池田小」と言えば、別の学校である「池田市立池田小学校」を指すのが普通である。従って、事件のあった学校名を記載する際には、「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」とフルネームを記載し、略する場合も「附属池田小」と呼称する場合が多い[10]。マスコミなどの扱いでも、主要紙は記事本文では「附属池田小事件」と表記することが多いが、見出しなどでは依然「池田小事件」と表記されることもある。

事件発生2日後の6月10日横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)で行われたサッカーFIFAコンフェデレーションズカップ日本-フランス戦のキックオフ開始後に、両チーム選手がこの事件の被害者に1分間の黙祷を行っている。この時、字幕に「Pray for eight victims(8人の尊い命に対し、黙祷を捧げます)」というテロップが世界中に放送された。

この事件後、宇多田ヒカルは彼女のファンであった事件の被害者へ捧げたシングル曲として「FINAL DISTANCE」を発売した。附属池田小学校の校内では2008年秋に鉄腕アトムの銅像が建てられた。

[編集] 脚注

  1. ^ 戦後で早く処刑された例として栃木雑貨商一家殺害事件の元死刑囚がいる。彼は1955年に死刑判決確定後4か月で処刑されたが、死刑判決の上告中に東京拘置所から脱獄した前歴があるためといわれている。
  2. ^ かつてのイギリスでは判決確定後一定期間で自動的に死刑執行が行われていたが、エヴァンス事件で真犯人の偽証で冤罪による死刑が執行されたため、死刑制度が廃止に追い込まれる原因のひとつになった。
  3. ^ 宅間と同じように早期の死刑を望んだ死刑囚にピアノ殺人事件の犯人がいるが、精神に異常をきたしている(近況については情報公開されていないが)といわれており、判決確定から34年経過した2008年現在も死刑が執行されていない。そのため、本人が死刑執行を求めても執行が早まるわけではない。
  4. ^ 通常は、死亡した場合は死亡日に除籍扱いとなる。
  5. ^ 児童に対する組織的な避難誘導、救命活動、搬送処置など
  6. ^ 死亡した児童8名は即死ではなく、救命活動の遅れによる失血死が死因であった
  7. ^ 附属池田小学校事件の概要 - 大阪教育大学付属小学校ホームページ
  8. ^ 御遺族との合意書 - 大阪教育大学付属小学校ホームページ
  9. ^ 負傷生徒との合意書 - 大阪教育大学付属小学校ホームページ
  10. ^ 2004年度に大阪教育大学附属池田小学校と改称

[編集] 類似事件

[編集] スプリー・キラー

[編集] その他学内侵入犯による殺人事件

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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