連合国軍占領下の日本 - Wikipedia

連合国軍占領下の日本

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連合国軍占領下の日本(れんごうこくぐんせんりょうかのにほん)では、第二次世界大戦終戦後からサンフランシスコ平和条約締結までの日本について記す。

目次

[編集] 概要

大日本帝国は1945(昭和20年)年8月14日、ポツダム宣言の受諾を連合国に通告した。その翌日、昭和天皇はラジオで終戦の詔書を大日本帝国国民に発表した。8月15日は、太平洋戦争の停戦と、長い日本の占領時代の始まりであった。9月2日に、日本代表が戦艦ミズーリの船上で日本軍連合軍の間で休戦協定を調印し、停戦状態[1]に至る。イギリス連邦による協力を受け、アメリカ主導で組織された連合国軍が日本に進駐。日本史上初めて他国に占領され、その軍政となった。連合国軍は、日本人洗脳計画[2]に沿って、戦後処理(極東軍事裁判など)、憲法(日本国憲法)の公布をはじめ、政治軍事教育宗教など、国家基幹に係わる大改革が実施されると共に情報が厳しく検閲操作された[3]

1951年9月8日サンフランシスコ平和条約に日本国が調印し、1952年4月28日、その条約が発効され、正式に国家としての主権の回復が行われた。

[編集] 統治

アメリカ国立公文書館の計画書による日本の分割統治計画案。

アメリカ大統領ハリー・トルーマンダグラス・マッカーサーを連合国軍(SCAP:Supreme Commander of the Allied Powers)の最高司令官として任命した。日本では「連合国軍最高司令官総司令部」をGHQ(General Headquarters)と呼称する。日本に進駐した連合軍の大部分は米軍であったがイギリス連邦の諸国軍も進駐した。

日本の間接統治の最高機関として極東委員会を、最高司令官の諮問機関として対日理事会が設置されたが、実際はSCAPが全面的に仕切ることになった。

[編集] 分割案

戦争中、連合国軍はドイツと同様に日本の分割直接統治(東京23区は米中ソ英、近畿地方の大部分と福井県の一部は米中による共同統治)を計画していたが、天皇を通しての統治が簡易であるという重光葵の主張を受け入れ、最終案では日本政府を通じた間接統治の方針に変更した。

[編集] 政策

[編集] 政治

象徴天皇制
一神教徒が多数を占める連合国軍にあって、天皇は神では無かった。連合国軍は人間宣言で天皇が神であることを明確に否定したが、天皇の権威は日本の統治に利用した。結果的に、日本は天皇の権威によって円滑に統治された。
戦争放棄
日本の戦力を奪うことで、日本の弱体化を目論んだ。後に、日本は朝鮮戦争期にアメリカの意向により戦力を保有することになるが、その解釈を巡って現在もなお日本国内で論争が続いてる。
学制改革
各都道府県に大学が創設される等、教育の一般化が行われた。しかし旧制によるエリート教育が失われた。
農地改革
小作人に農地を分け与え、小作人の生活を保障した。これによって、資産家は没落した。また、大規模な農業が不可能となり、日本の食料自給率低下の原因とされる。
財閥解体
「侵略戦争遂行の経済的基盤」になった財閥の解体による、第二次世界大戦以前の日本の経済体制の壊滅が目的とされる経済民主化政策である。

[編集] 思想

東京裁判
敗者である日本が、勝者である連合国軍に裁かれた。裁判の体は成してはいない、また、事後裁判であると評されることもある。
伝統文化の排斥
剣道や歌舞伎など「」や神道に纏わる伝統文化の活動停止や組織解散や教則書籍の焚書などを行った。

[編集] 領土

外地などの領土剥奪
ポツダム宣言には「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とされ、大日本帝国が統治していた地域のうち、外地台湾朝鮮)・租借地関東州)・委任統治区域南洋群島)を失った。
また内地についても、南樺太千島列島を失い、南西諸島小笠原諸島伊豆諸島についても施政権が停止された(後に施政権を回復)。

[編集] 年表

凡例

  • 月日 日本に関係のある出来事、日本国内の出来事。
    • 月日 直接日本には関係しない世界の出来事。

1945年(昭和20年)

東京湾に停泊する戦艦ミズーリ上で降伏文章調印(中央で署名を行っているのは重光葵外務大臣、左後方に侍しているのは加瀬俊一
国際連合が発足

1946年(昭和21年)

1947年(昭和22年)

1948年(昭和23年)

SCAJAP旗。占領下の日本商船旗。国際信号旗のE旗の端を三角に切り落としたもの。日章旗の掲揚禁止を受けて用いられた。

逆コースが始まる。

1949年(昭和24年)

自由掲揚が解禁された日章旗

1950年(昭和25年)

  • 1月 地方政治が進駐軍政から離れる。
  • 2月14日 ソ連が中華人民共和国と同盟条約を締結し、条文で日本を仮想敵国と名指しする。
  • この頃、日本との講和を推進する米国務省と、米軍の日本駐留を継続するために日本再独立に反対する米国防総省が対立。
  • 4月25日 池田勇人蔵相が白洲次郎らと共に税法問題交渉のため渡米。ジョゼフ・ドッジと面談し、講和後の米軍駐留を日本から提案する旨を通達(池田ミッション)。
  • 5月12日 日本の漁獲水域を南へ拡大(北緯24度東経123度、赤道の東経135度、赤道の東経180度、北緯24度東経180度を結ぶ線内)。
  • 6月6日 マッカーサー、日本共産党中央委員24名を公職追放。
  • 6月16日 国家地方警察本部(現在の警察庁)、全国のデモ・集会禁止令。
  • 6月25日 朝鮮戦争勃発(- 1953年)。在日占領軍が韓国を支援するため出動し、日本が前線基地となる。
  • 7月 小倉で朝鮮派遣を控えた黒人米兵達が完全武装で集団脱走。強姦や略奪を繰り返すが、全員が憲兵に逮捕され、戦線に送られた(ほぼ全員が戦死したという)。情報統制の結果、ほとんどの日本国民が事件を知らなかった(小倉黒人米兵集団脱走事件)。
  • 7月8日 マッカーサー、吉田首相に警察力強化(警察予備隊7万5000名の創設と海上保安庁8000名増員)を求める書簡を送る。
  • 7月24日 SCAP、共産党幹部逮捕と新聞協会代表に共産党員の追放を勧告(レッドパージ)。共産党書記長徳田球一、中国へ亡命。
  • 8月10日 警察予備隊令を公布。総理府の機関として、警察予備隊が置かれる。
  • 8月23日 警察予備隊第一陣7000名が入隊。
  • 8月27日 第2次アメリカ教育使節団来日。
  • 9月14日 トルーマン大統領、対日講和と安全保障条約交渉の開始を指令。
  • 10月 海上保安庁が朝鮮半島に特別掃海隊を派遣(国民には秘匿)。
  • 11月10日 NHK東京テレビジョン実験局、テレビの定期実験放送を開始。
  • 11月24日 米国政府、「対日講和7原則」を発表。日本への請求権放棄と、日本防衛を日米共同で行う旨を明記。

1951年(昭和26年)

マシュー・バンカー・リッジウェイ将軍

1952年(昭和27年)

48カ国と講和し国交を回復する。なお、対日宣戦したものの、日本と一度も戦っていない国も名を連ねている。 日本は北緯29度以南の南西諸島小笠原諸島を残存主権を保持しつつもアメリカの信託統治に置くことを認め、南樺太千島列島朝鮮半島台湾南洋群島を放棄(1953年奄美諸島1968年に小笠原諸島、1972年に南西諸島が日本に返還された。また、ソ連に不当占領された北方領土は放棄していないと主張している)。

進駐軍のうち米軍は、講和成立と共に締結された「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」に基づいて駐留継続(在日アメリカ軍へ衣替え)。

[編集] 脚注

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  1. ^ 正式な降伏日は1952年4月28日サンフランシスコ平和条約で、一般的に終戦記念日とされている8月15日は日本軍と連合国軍側の停戦日であって、それまでは戦争期間として連合国軍の占領下におかれ監視されていた。[1]
  2. ^ 降伏後における米国の初期対日方針[2]
  3. ^ 連合国軍は戦争期間(停戦)にあった日本が再びアメリカの脅威とならないように骨抜きにするため、洗脳政策を実施した。この際、行われた政策は現在の日本が持つ価値観の基盤となっている(ラジオ放送「眞相はかうだ 」)。[3]

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク


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