連合国軍占領下の日本
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連合国軍占領下の日本(れんごうこくぐんせんりょうかのにほん)では、第二次世界大戦終戦後からサンフランシスコ平和条約締結までの日本について記す。
目次 |
[編集] 概要
大日本帝国は1945(昭和20年)年8月14日、ポツダム宣言の受諾を連合国に通告した。その翌日、昭和天皇はラジオで終戦の詔書を大日本帝国国民に発表した。8月15日は、太平洋戦争の停戦と、長い日本の占領時代の始まりであった。9月2日に、日本代表が戦艦ミズーリの船上で日本軍と連合軍の間で休戦協定を調印し、停戦状態[1]に至る。イギリス連邦による協力を受け、アメリカ主導で組織された連合国軍が日本に進駐。日本史上初めて他国に占領され、その軍政となった。連合国軍は、日本人洗脳計画[2]に沿って、戦後処理(極東軍事裁判など)、憲法(日本国憲法)の公布をはじめ、政治、軍事、教育、宗教など、国家基幹に係わる大改革が実施されると共に情報が厳しく検閲・操作された[3]。
1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約に日本国が調印し、1952年4月28日、その条約が発効され、正式に国家としての主権の回復が行われた。
[編集] 統治
アメリカ大統領ハリー・トルーマンはダグラス・マッカーサーを連合国軍(SCAP:Supreme Commander of the Allied Powers)の最高司令官として任命した。日本では「連合国軍最高司令官総司令部」をGHQ(General Headquarters)と呼称する。日本に進駐した連合軍の大部分は米軍であったがイギリス連邦の諸国軍も進駐した。
日本の間接統治の最高機関として極東委員会を、最高司令官の諮問機関として対日理事会が設置されたが、実際はSCAPが全面的に仕切ることになった。
[編集] 分割案
戦争中、連合国軍はドイツと同様に日本の分割直接統治(東京23区は米中ソ英、近畿地方の大部分と福井県の一部は米中による共同統治)を計画していたが、天皇を通しての統治が簡易であるという重光葵の主張を受け入れ、最終案では日本政府を通じた間接統治の方針に変更した。
[編集] 政策
[編集] 政治
- 象徴天皇制
- 一神教徒が多数を占める連合国軍にあって、天皇は神では無かった。連合国軍は人間宣言で天皇が神であることを明確に否定したが、天皇の権威は日本の統治に利用した。結果的に、日本は天皇の権威によって円滑に統治された。
- 戦争放棄
- 日本の戦力を奪うことで、日本の弱体化を目論んだ。後に、日本は朝鮮戦争期にアメリカの意向により戦力を保有することになるが、その解釈を巡って現在もなお日本国内で論争が続いてる。
- 学制改革
- 各都道府県に大学が創設される等、教育の一般化が行われた。しかし旧制によるエリート教育が失われた。
- 農地改革
- 小作人に農地を分け与え、小作人の生活を保障した。これによって、資産家は没落した。また、大規模な農業が不可能となり、日本の食料自給率低下の原因とされる。
- 財閥解体
- 「侵略戦争遂行の経済的基盤」になった財閥の解体による、第二次世界大戦以前の日本の経済体制の壊滅が目的とされる経済民主化政策である。
[編集] 思想
- 東京裁判
- 敗者である日本が、勝者である連合国軍に裁かれた。裁判の体は成してはいない、また、事後裁判であると評されることもある。
- 伝統文化の排斥
- 剣道や歌舞伎など「道」や神道に纏わる伝統文化の活動停止や組織解散や教則書籍の焚書などを行った。
[編集] 領土
- 外地などの領土剥奪
- ポツダム宣言には「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とされ、大日本帝国が統治していた地域のうち、外地(台湾・朝鮮)・租借地(関東州)・委任統治区域(南洋群島)を失った。
- また内地についても、南樺太・千島列島を失い、南西諸島、小笠原諸島、伊豆諸島についても施政権が停止された(後に施政権を回復)。
[編集] 年表
凡例
- 月日 日本に関係のある出来事、日本国内の出来事。
- 月日 直接日本には関係しない世界の出来事。
1945年(昭和20年)
- 8月14日 日本がポツダム宣言受諾の旨を中立国を通じて通告し、勅語を発布する。
- 8月15日 国民に向けての玉音放送。支那派遣軍と南方軍がこれに抗議。連合国軍は攻撃停止。しかしアメリカ軍はこの日まで攻撃を続けていた。鈴木貫太郎内閣総辞職。
- 8月16日 日本政府、陸海軍に停戦を命じる(中国大陸では9月半ばまで中国軍と戦闘続く)。ソビエト連邦軍がヤルタ協定に基づいて南樺太と満州へ侵略を開始し、日本軍抗戦(停戦令出る)。
- 8月17日 東久邇宮稔彦王臨時内閣成立。天皇、支那派遣軍と南方軍に停戦の勅旨。連合国軍の許可を得て皇族をサイゴン・シンガポール・南京・北京・新京に派遣。
- 8月18日 ソ連軍が千島列島へ侵略を開始。占守島で日本軍交戦(21日停戦令出る)。満州国消滅。
- 8月19日 関東軍とソ連極東軍が停戦交渉開始。フィリピンに停戦命令が届く。河辺虎四郎参謀次長と米サザランド参謀長による降伏手続打合せの会合がマニラで行われる。
- 8月26日 終戦連絡中央事務局設置。このころ、満州での戦闘が終わる。
- 8月28日 テンチ米陸軍大佐以下150名が横浜に初上陸し、横浜に連合国軍本部を設置。以後、全国で人員と物資の上陸相次ぎ、進駐兵力は最大で43万人となる。
- 8月30日 アメリカ合衆国陸軍マッカーサー元帥が神奈川県厚木飛行場に到着。車両で当初の予定地である葉山御用邸を変更し、長後街道、国道1号経由で横浜に入る。
- 9月2日 日本政府が戦艦ミズーリで降伏文書調印。SCAP指令第一号(陸海軍解体、軍需生産の全面停止等)が出る。朝鮮の日本軍に対し、北緯38度を境に対米ソ降伏を命令。台湾は中華民国、旧満州国と千島列島・南樺太はソビエト連邦、南洋諸島はアメリカがそれぞれ進駐および武装解除。東南アジア植民地は宗主国が復帰。
- 9月3日 フィリピンの日本軍降伏。重光・マッカーサー会談により間接統治の方向性を確認。
- 9月5日 第88回帝国議会臨時会議を召集。ソ連軍が歯舞群島までを不当占領(後に北方領土問題となる)。瀬島龍三など関東軍首脳部がハバロフスクへ送られ、将兵57万人がシベリア抑留となる。
- 9月6日 帝国議会がマッカーサーに対し「天皇と日本政府の統治の権限は貴官の下に置かれる」と通達。
- 9月8日 連合国軍、東京に進駐する。以後、都内の建物600箇所以上を接収。
- 9月10日 「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」発令。政府に代わり連合国軍が検閲を始める。『在日朝鮮人連盟』中央準備会が設立される。
- 9月11日 マッカーサー、東條英機らA級戦犯容疑者39人の逮捕を命令(東條、自決に失敗)。
- 9月13日 大本営を廃止。
- 9月15日 東京・日比谷の第一生命相互ビル(現、DNタワー21、第一・農中ビル)を接収。
- 9月16日 連合国軍本部が横浜から第一生命相互ビルに移転。
- 9月17日 マッカーサー、東京の本部に入り、日本進駐が順調なことから「進駐兵力は20万人に削減できる」と声明(米国の許可無く発言し、トルーマン大統領が疑念を抱く)。
- 9月19日 プレスコードが出される。
- 9月20日 緊急勅令『「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件』公布、即日施行。
- 9月27日 昭和天皇、マッカーサーを訪問(直立不動の天皇と楽な姿勢のマッカーサー、2人並んだ写真が新聞に公開され、天皇を神と仰いでいた国内に衝撃を与える)。日本の漁獲水域を指定、いわゆるマッカーサー・ライン(北緯45度東経145度から北緯45度30分東経145度、歯舞群島を避けて東経150度、北緯26度東経150度、北緯26度東経123度、北緯32度東経125度、対馬を経て北緯40度東経135度、北緯45度東経140度を結ぶ線内)。
- 9月29日 内務省による検閲制度の廃止を指示。
- 9月30日 進駐軍、「朝鮮人連盟発行の鉄道旅行乗車券禁止に関する覚書」を通達。
- 10月1日 進駐軍、「連合国、中立国、敵国の定義に関する覚書」を通達。朝鮮・台湾など旧植民地出身者が日本国籍から離脱。
- 10月2日 連合国軍最高司令官総本部(SCAP)設置。一般命令第四号「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を発するが、日本側には知らせず(命令の存否について議論あり)。
- 10月4日 自由の指令(「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」、「政治警察廃止に関する覚書」)発令。“絶対主義天皇制批判者への治安維持法適用と処罰”を明言した内務大臣山崎巌の罷免を要求。東久邇宮内閣はこれを不信任と受け翌5日総辞職。
- 10月9日 幣原喜重郎内閣発足。
- 10月10日 徳田球一ら共産党員など政治犯10数名が釈放。人民大会がデモ行進と総司令部前で万歳。
- 10月11日 女性の解放と参政権の授与、労働組合組織化の奨励と児童労働の廃止、学校教育の自由化、秘密警察制度と思想統制の廃止、経済の集中排除と経済制度の民主化を指示。
- 10月15日 治安維持法の廃止。国内の日本軍、武装解除を完了。
- 10月20日 日本共産党が機関紙「赤旗」再刊。
- 10月24日 国際連合憲章によって国際連合が発足する。
- 11月2日 日本社会党結党。
- 11月6日 日本自由党結党(旧政友会系)。持株会社解体令(三井、三菱、住友、安田の四大財閥を解体するという政府案をSCAPが承認、いわゆる「財閥解体指令」)。
- 11月16日 日本進歩党結党(旧民政党系)。
- 11月18日 皇族資産凍結の指令。
- 11月30日 陸軍省・海軍省を廃止。
- 12月1日 第一復員省(旧陸軍省)・第二復員省(旧海軍省)が発足。日本共産党が第4回党大会を開催。
- 12月6日 近衛文麿や木戸幸一など民間人9人の逮捕を命令。
- 12月7日 いわゆる農地解放指令(農地の小作人への分配)。
- 12月9日 農地改革を指示。
- 12月15日 神道指令を指示(国教分離)。外部リンク国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並に弘布の廃止に関する件
- 12月16日 近衛文麿自殺。
- 12月18日 日本協同党結党。幣原内閣、衆議院を解散。
- 12月22日 昭和天皇が史上初の記者会見。
- 12月31日 「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」(覚書)を発令。修身、国史、地理の授業は中止、教科書は蒐集される。
1946年(昭和21年)
- 1月1日 天皇神格否定の勅諭。(「人間宣言」)
- 1月4日 軍人・戦犯・軍国主義者及び同傾向政治家などの公職追放を指示。
- 1月25日 幣原首相、マッカーサーと会談。
- 2月1日 毎日新聞が政府の新憲法草案をスクープ(SCAPの反応を見る為にわざと流したとの説もある)。
- 2月2日 ソ連が全樺太と全千島列島の領有を宣言。
- 2月3日 マッカーサー、民政局長コートニー・ホイットニーに自作の憲法案のメモを渡し、憲法モデルを作成するよう命じる。
- 2月13日 ホイットニー局長、新憲法モデル文章を吉田茂らに見せる。
- 2月19日 昭和天皇が川崎市・横浜市の市民を訪問。以後、全国を訪問する。
- 3月5日 第1次アメリカ教育使節団来日。
- 3月6日 日本政府、「憲法改正草案要綱」(戦争の放棄、象徴天皇、主権在民)を公表。
- 3月22日 日本政府の行政区域を対馬、種子島、伊豆諸島までに限る(北緯30度以南の南西諸島と小笠原諸島を分離して米軍統治下に置く)。
- 4月10日 新選挙法に基づく衆議院議員総選挙。投票率73パーセント、自由党が第一党となるも過半数に届かず。加藤シヅエ・山口シヅエ・戸叶里子・松谷天光光・近藤鶴代ら、日本初の女性国会議員が39名当選。
- 4月17日 幣原内閣、新憲法草案を発表。
- 4月22日 幣原内閣総辞職。
- 4月29日 天皇誕生日にA級戦犯29名を起訴。
- 5月1日 11年ぶりのメーデー。およそ100万人が集まる。
- 5月3日 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。
- 5月19日 宮城(皇居)前で25万人が飯米獲得人民大会を開催(食糧メーデー、プラカード事件)。共産党・社会党がデモ隊をつれて吉田を訪問。デモ隊一部は皇居内に侵入。翌日、マッカーサー声明「暴民デモ許さず」。
- 5月22日 吉田茂内閣(自由党)成立。
- 6月15日 第一復員省と第二復員省が統合して復員庁となる。
- 6月19日 国連原子力委員会でソ連代表が核技術の廃絶を提案。
- 6月20日 衆議院に新憲法草案を提出。
- 6月22日 日本の漁獲域を拡張(歯舞群島の東の東経150度から北緯45度東経165度、北緯24度東経165度、北緯24度東経123度を結ぶ線内)。
- 6月25日 衆議院本会議に憲法草案が上程。
- 11月3日 日本国憲法公布。
- 12月18日 ワシントンの極東委員会、日本の労働運動16原則を決定(占領目的を阻害する労働運動の禁止)。
- 12月21日 南海地震が発生。四国沿岸などを津波が襲い、1443名が死亡。
1947年(昭和22年)
- 1月1日 吉田茂、労組運動者を「不逞の輩」と非難。
- 1月11日 全官公庁労組共闘委員会(組合員260万)4万人が皇居前でデモ。委員長伊井弥四郎がゼネスト決行宣言。
- 1月18日 伊井、ゼネスト決行を2月1日と発表。
- 1月31日 マッカーサー、二・一ゼネスト中止命令。伊井、NHKでスト中止を発表(後に占領政策違反で逮捕)。共闘委員会解散。
- 2月10日 イタリア・フィンランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリアが連合国と講和。各国が領土割譲と賠償を認める。
- 3月 トルーマン大統領、「共産主義との対決」を宣言し、米ソ対立が表面化。
- 3月17日 マッカーサー声明「日本進駐は速く終わらせ、対日講和を結んで総司令部を解消するべき。講和は1年以内が良い。」対して国務次官ディーン・アチソン「日本より欧州が先」。
- 3月31日 吉田内閣、衆議院を解散。
- 4月22日 第一回参議院議員選挙。社会党が第一党になるも過半数に届かず。
- 4月25日 衆議院選挙。社会党が第一党になるも過半数に届かず。当選者の半数弱が新人で、田中角栄、中曽根康弘、鈴木善幸らが初当選。
- 4月 独占禁止法公布。
- 5月 総司令部内に賠償局を設置。
- 5月 SCAP、日本政府に対し「帝国」の語の使用を禁じる。
- 5月2日 外国人登録令(朝鮮人、台湾人などの外地人は日本籍を取り消され外国人となる)。
- 5月3日 日本国憲法施行。
- 5月20日 第一回特別国会召集。吉田内閣総辞職。
- 5月24日 社会党書記長片山哲がマッカーサーを訪問し、片山がキリスト教徒であること喜ぶ声明。また片山に「日本は東洋のスイスとなるべきだ」と言い、「東洋のスイスたれ」が流行する。
- 6月1日 片山哲内閣(社会党・民主党・国協党連立)成立。
- 7月 極東委員会、対日政策指導原則を発表。
- 7月11日 マッカーサーの進言により、米国政府が連合国に対し、対日講和会議の開催を提案。
- 7月12日 欧米16カ国のパリ会議開催(マーシャル・プラン受け入れ決定)
- 7月13日 マッカーサー声明「日本処理の基本的な方針である軍の撤廃と非武装化は完全に達成されており、向こう100年間、日本は近代戦を行うための再軍備はできないだろう。」米本国の欧州重視に反発した模様。
- 7月22日 ソ連が米国提案の対日講和会議に反対。
- 9月 カスリーン台風の被害甚大。
- 10月26日 刑法を改正。
- 12月22日 民法を改正。
- 12月31日 内務省を廃止。
1948年(昭和23年)
逆コースが始まる。
- 1月6日 米陸軍長官ロイヤル、演説中「日本を反共の壁にする」と発言(反共・封じ込め政策開始)。
- 1月26日 帝国銀行椎名町支店で行員12名が殺害され、18万円(当時)が強奪される(帝銀事件)。
- 2月10日 片山内閣総辞職。
- 3月10日 芦田均内閣(民主党・社会党・国協党)成立。
- 4月 祝祭日のみ日章旗掲揚を許可。
- 4月8日 東宝が1200人の人員整理を発表。15日から労組が撮影所に篭城(東宝争議)。
- 4月28日 夏時間が導入される。
- 5月 海上保安庁を設置。
- 6月 マッカーサー、共和党の予備選挙に惨敗し、大統領候補から外れる。
- 6月28日 福井地震が発生。3736名が死亡し、戦災から復興しかけた福井市は再度壊滅した。
- 7月31日 政令201号発令(公務員の団体交渉権・スト権を否定)。
- 8月13日 朝鮮半島北緯38度線以南に大韓民国成立(アメリカによって旧宗主国である日本は無視された)。15日に独立式典。
- 8月19日 13日の東京地裁仮処分を受けて東宝争議に米軍介入(「来なかったのは軍艦だけ」とまで評された)。
- 9月9日 朝鮮半島北緯38度以北に朝鮮民主主義人民共和国成立。
- 10月7日 芦田内閣、昭和電工事件の影響で総辞職。
- 10月19日 第二次吉田茂内閣(民主自由党)成立。
- 11月12日 東京裁判が25人に有罪判決。うち板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、東條英機、広田弘毅、武藤章、松井石根が死刑。
- 11月30日 政令201を受け国家公務員法改正。公務員の団体行動権を否定(労働基本権#日本の公務員の労働基本権)。
- 12月7日 芦田元首相を贈収賄容疑で逮捕。
- 12月8日 民政局次長チャールズ・ケーディス大佐が対日政策転換を阻止するため帰国(昭電事件の余波から逃れる為と噂される)。
- 12月18日 SCAP、対日自立復興の9原則を発表(対日政策転換する)。
- 12月23日 吉田内閣、衆議院解散(馴れ合い解散)。同日、東条英機ら旧指導者7人に死刑執行。
1949年(昭和24年)
- 1月1日 SCAP、日章旗の自由掲揚を認める。
- 1月1日 年齢のとなえ方に関する法律施行、書類に用いる年齢が数え年から満年齢へ変わる。
- 1月23日 衆議院総選挙。民主自由党が大勝利、共産党躍進。池田勇人・佐藤栄作・岡崎勝男ら、高級官僚の大量政界進出。
- 2月16日 第3次吉田内閣(民主自由党)成立。
- 3月1日 SCAP経済顧問ジョゼフ・ドッジ、超均衡予算、補助金全廃、復興金融金庫の貸出禁止など、収支均衡予算の編成を指示(ドッジ・ライン)。
- 4月23日 1ドル360円の単一為替レート設定、25日より実施。
- 6月1日 電波三法が施行。民間へ電波が開放される。
- 7月6日 下山事件(国鉄総裁怪死)
- 7月15日 三鷹事件(国鉄無人電車暴走)
- 8月17日 松川事件(国鉄列車脱線転覆)
- 9月15日 シャウプ税制使節団、税制の抜本的改編を発表。(詳細はシャウプ勧告を参照)
- 9月21日 日本の漁獲域を東へ拡張(北緯40度東経165度、北緯40度東経180度、北緯24度東経180度、北緯24度東経165度の線内)。
- 10月4日 プレスコード撤廃。
- 11月1日 米国務省、「対日講和条約について検討中」と声明。講和案に賠償・領土割譲が無いことが報道される。これ以降、国内では西側との「単独講和論」と東側を含めた「全面講和論」が対立(世論調査では全面講和が優位)。
- 11月3日 湯川秀樹がノーベル物理学賞受賞。
1950年(昭和25年)
- 1月 地方政治が進駐軍政から離れる。
- 2月14日 ソ連が中華人民共和国と同盟条約を締結し、条文で日本を仮想敵国と名指しする。
- この頃、日本との講和を推進する米国務省と、米軍の日本駐留を継続するために日本再独立に反対する米国防総省が対立。
- 4月25日 池田勇人蔵相が白洲次郎らと共に税法問題交渉のため渡米。ジョゼフ・ドッジと面談し、講和後の米軍駐留を日本から提案する旨を通達(池田ミッション)。
- 5月12日 日本の漁獲水域を南へ拡大(北緯24度東経123度、赤道の東経135度、赤道の東経180度、北緯24度東経180度を結ぶ線内)。
- 6月6日 マッカーサー、日本共産党中央委員24名を公職追放。
- 6月16日 国家地方警察本部(現在の警察庁)、全国のデモ・集会禁止令。
- 6月25日 朝鮮戦争勃発(- 1953年)。在日占領軍が韓国を支援するため出動し、日本が前線基地となる。
- 7月 小倉で朝鮮派遣を控えた黒人米兵達が完全武装で集団脱走。強姦や略奪を繰り返すが、全員が憲兵に逮捕され、戦線に送られた(ほぼ全員が戦死したという)。情報統制の結果、ほとんどの日本国民が事件を知らなかった(小倉黒人米兵集団脱走事件)。
- 7月8日 マッカーサー、吉田首相に警察力強化(警察予備隊7万5000名の創設と海上保安庁8000名増員)を求める書簡を送る。
- 7月24日 SCAP、共産党幹部逮捕と新聞協会代表に共産党員の追放を勧告(レッドパージ)。共産党書記長徳田球一、中国へ亡命。
- 8月10日 警察予備隊令を公布。総理府の機関として、警察予備隊が置かれる。
- 8月23日 警察予備隊第一陣7000名が入隊。
- 8月27日 第2次アメリカ教育使節団来日。
- 9月14日 トルーマン大統領、対日講和と安全保障条約交渉の開始を指令。
- 10月 海上保安庁が朝鮮半島に特別掃海隊を派遣(国民には秘匿)。
- 11月10日 NHK東京テレビジョン実験局、テレビの定期実験放送を開始。
- 11月24日 米国政府、「対日講和7原則」を発表。日本への請求権放棄と、日本防衛を日米共同で行う旨を明記。
1951年(昭和26年)
- 1月 マッカーサー、日本政府に再軍備の必要性を説く。
- 4月11日 マッカーサー、朝鮮戦争で旧満州空爆を巡りトルーマン大統領と対立し更迭される。
- 4月16日 マッカーサー、アメリカへ帰国。マシュー・リッジウェイ中将が第二代最高司令官に就任(就任後に大将へ昇進)。
- 4月24日 国鉄桜木町駅で電車火災事故。死者106名(国鉄戦後五大事故)。
- 9月1日 日本初の民間放送ラジオ局、中部日本放送と新日本放送(現毎日放送)開局。
- 9月8日 サンフランシスコで日本国との平和条約を調印。続いて日米安全保障条約に調印。
- 12月25日 ラジオ東京(現東京放送)が開局。
1952年(昭和27年)
- 1月18日 韓国が一方的に海洋主権宣言を発表(李承晩ライン)。
- 1月23日 国会中継放送が始まる。
- 2月28日 日米行政協定締結。
- 4月9日 もく星号墜落事故。
- 4月25日 漁獲水域指定(マッカーサー・ライン)を廃止。
- 4月26日 海上保安庁に海上警備隊が置かれる。
- 4月28日 日本国との平和条約が発効、日本主権回復。SCAPの進駐が終わる。
48カ国と講和し国交を回復する。なお、対日宣戦したものの、日本と一度も戦っていない国も名を連ねている。 日本は北緯29度以南の南西諸島と小笠原諸島を残存主権を保持しつつもアメリカの信託統治に置くことを認め、南樺太、千島列島、朝鮮半島、台湾、南洋群島を放棄(1953年に奄美諸島、1968年に小笠原諸島、1972年に南西諸島が日本に返還された。また、ソ連に不当占領された北方領土は放棄していないと主張している)。
進駐軍のうち米軍は、講和成立と共に締結された「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」に基づいて駐留継続(在日アメリカ軍へ衣替え)。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 国会図書館・憲政資料室・日本占領期資料 発生機関別索引
- メリーランド大学図書館プランゲ文庫 - 教育図書目録(占領期に日本で出版された教育関係図書・パンフレット約1万点の書誌情報)
- 九州地区劇団占領期SCAP検閲台本(ダイザー・コレクション)早稲田大学
- 占領期図書館史プロジェクト(東京大学)
- 映像で見る占領期の日本-占領軍撮影フィルムを見る-
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