正教会
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正教会(せいきょうかい、ギリシア語: Ορθόδοξη Εκκλησία、ロシア語: Православие、英語: Orthodox Church)は、キリスト教の教派のひとつ。ギリシャ正教もしくは東方正教会(とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)とも呼ばれる。文脈によっては「東方教会」(とうほうきょうかい)の語が正教会を指している場合もある。
日本語の「正教」、英語名の"Orthodox"(オーソドックス)は、ギリシャ語のオルソドクシア "ορθοδοξία" が起源で「正しい讃美」を意味する。正しく神を讃美するためには正しい伝統に基づいた信仰が必要なことから、「正統教会」も意味する。
正教会の組織は少なく無い例外はあるものの、国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本である。ロシア正教会・ルーマニア正教会・ギリシャ正教会・ブルガリア正教会・セルビア正教会・グルジア正教会・日本正教会などの地域別の教会組織は異なる教義を信奉している訳ではなく、これらは組織名であって教派名ではないことに注意が必要である。教派名はあくまで正教会であり、どの教会でも洗礼などの機密は等しく有効である。
日本には主にロシア正教から伝道され、現在、日本ハリストス正教会に結実している。日本ハリストス正教会では、イエス・キリストを中世ギリシャ語・ロシア語由来の読み方でイイスス・ハリストスと転写したり、"Άγιο Πνεύμα"(アギオ・プネヴマ、聖霊)を聖神と訳したりするなど、用語上、日本の慣例的な表記と異なる点がある。以下、この記事では日本ハリストス正教会で使われている用語を断りなく用いる場合がある。こうした用語については日本正教会の聖書・祈祷書等にみられる独自の翻訳・用語体系を参照。
なお、シリア正教会、コプト正教会、エチオピア正教会、アルメニア正教会なども同じく「正教会」を名乗りその正統性を自覚しているが、上に述べたギリシャ正教とも呼ばれる正教会とは別の系統に属する。英語ではこれらの教会は"Oriental Orthodox Church"とも呼ばれる。詳細は東方諸教会か、本記事内の非カルケドン派正教会を参照されたい。
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[編集] 概要
正教会の生活の中心は、復活の生命を望む機密の交わりにある。イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活と、それによって人類に生命が与えられた事を記憶する復活大祭(パスハ)が、年間の内で最も盛大に祝われる。復活大祭は降誕祭(クリスマス)より遥かに重要な祝いであるとされ、教会暦および奉神礼も、移動祭日(年によって祝う日が異なる祭日)である復活祭に大きく影響されて構成される。復活大祭は土曜日深夜から日曜日早朝にかけて行われる事が多い。また、毎週の主日(日曜日)はハリストスの復活を記憶した奉神礼が行われる。
教会生活の特徴については本項内の教義と教会の特徴の節を、機密については機密 (キリスト教)を参照
正教会はいわゆる使徒継承教会のひとつで、その歴史は1世紀の初代教会にまでさかのぼる。
「最も古いローマカトリック教会(西方教会)から東方正教会が分離した」といった認識や言説は今日でも散見されるが、事実に大きく反する。ローマ教皇が東方教会に対して西方教会に対するのと同じような権限を行使し得た史実は無いからである。東方正教会もローマカトリックも自らを「使徒の教会」としているのであって、いずれかを「本家」とするような解釈は著しく片側の見解に偏ったものである。東西教会のいずれも自らを正統であると自認しており、かつ他方と起源を同じくすることを認めている。両教会は8世紀から13世紀にかけて長い時間を経て差異を深めた。
詳細は東西教会の分裂を参照
成立期において東地中海地方を主な基盤とし、東ローマ帝国の国教として発展したことから「東方正教会」の名もあるが、今日では東欧においても優勢であるのみならず、世界五大陸すべてに信徒が分布する。各地域の教会は、国をおもな単位として、信仰と精神性と伝統を共有し、相互に独立と自主性を認め合いつつ、緩やかな連携を保っている。諸教会の諸主教・諸首座主教のなかで、コンスタンディヌーポリ(英語名コンスタンティノープル・現代ギリシャ語名コンスタンディヌーポリ、現在のイスタンブル)の総主教が名誉上の首位であり、全地総主教(エキュメニカル総主教)と呼ばれる。いわば、コンスタンディヌーポリ総主教を名誉上の首座として尊敬しつつ、各主教を核に連帯を保っている国別の正教会の総体が正教会であるといえる。
20世紀に、正教会が盛んな地域である東欧に成立した共産主義政権の弾圧を受けて大きな人的・物的・精神的被害を蒙ったが、共産主義政権の崩壊後に各地の正教会は復興しつつある。
[編集] 名称
冒頭に述べた通り、「正教会」は「正しく神を讃美する教会」を意味する。
東方正教会という別称は、西方教会(ローマカトリック・聖公会・プロテスタントほか)に対置される語である。両者は11世紀頃に分立した。東方教会という名称自体は多く西方で使われた語であり、正教会自身は、たんに「正教」ないし「正教会」の語を好んで用いる[1]。これは「正教」が「正しい教え」であるため、それ以上の限定を必要としないという発想に基づいているほか、現在は正教会の伝道範囲が東方に限定されていないという現状も反映されている。また自称としては「正教徒」が多く使われる。
なお、正教会と頻繁に比較されるものとしてカトリック教会(普遍教会)があるが、「オーソドクス」(正しい讃美)と「カトリック」(普遍)は元来、概念として対立するものではなかった。双方の概念は違う文脈からキリスト教の本質をいおうとしたものである。正教会もまた信経にある通りに、「一つの聖にして『公なる』(カトリケー)使徒の教会」であることを任じており、教会の普遍性(カトリコス)を深く自覚している。
英語ではギリシャで発祥した教会という意味で Greek Orthodox Church ともいい、これにあわせて日本では正教会を指してギリシャ正教と呼ぶことも多い。これはギリシア語圏に正教会の中心があったことから誤用とはいいがたく、日本ハリストス正教会関係者のなかにも、ギリシャ正教の語を用いるものがある。なおギリシャ正教会と呼ぶこともあるが、これは近代に設置された、ギリシャ共和国を主として管轄するギリシャ正教会(ギリシャ共和国の正教会)(Church of Greece) を指す名称でもあるため、文脈に注意する必要がある。
正教会の信仰把握においては、信徒個人の実践である信仰と、信徒の団体である教会が伝承しまた実践する信仰が一つにとけあっている。そのために信仰のあり方をいう「正教」と、正教を保持する「正教会」の二概念が、ほぼ等値なものとして使われることがある。
[編集] 教義と教会の特徴
聖書や七つの全地公会議の決定などを含む聖伝承(Holy Tradition)を信仰の基準とした神学を有す。ニケア・コンスタンティノポリ信経(単に「信経」とも)を告白する。ニケア・コンスタンティノポリ信経においては、「聖神主、生命を施す者、父より出で」と唱え、聖神(聖霊)の発出は父からのみとする(フィリオクェ問題参照)。ほかニカイア信経、ハリファゲン信経(カルケドン信条)を承認する。
教会はイイスス・ハリストスを頭とし、聖神の導きのもと、機密に与ることを生活の中心とし、ハリストスの体である教会全体が歩んでゆくものである。機密の中心に聖体機密がある。領聖(聖体拝領)は必ず聖体と尊血の両方でおこない、聖餅(聖パン)にはイーストを用いる。
コンスタンディヌーポリ総主教(全地総主教)を名誉上の首位と認めるものの、各地の首座主教や各主教が自立した主教区を管轄する。いかなる限定や条件付きでも一主教・一首座主教が教義に関して無謬の宣言を出すことは承認しない。したがってローマ・カトリック教会の採用する教皇首位説や教皇不可謬説はこれを認めない。
イコン(聖像)に対する敬拝(崇敬)を重視し、イコンの形式を厳格に遵守する。イコンの形式は聖伝承のうちであり、画家による恣意的な変更は許されない。また、イコン画家は正教信徒以外には許されておらず、教会から祝福を受けた者のみがイコン制作に携わる事が出来る。
古代教会スラヴ語などの聖書と奉神礼の現地語化を重視するが、一方で奉神礼の構成はほぼ全世界的に共通する。マリア論では「無原罪懐胎」説を承認しない。
今日の正教会は五大陸にまたがり、各国地域それぞれに特徴があり多様さを許容している。その多様性は各主教・主教区の間での、聖神の恵みによる愛の交わりによる一致に基礎を置く。また西方典礼(アングリカン様式、ローマ様式その他)などさまざまな伝統(traditions)が共通の信仰のもとに正教会の中に包摂されている。
なお現在ではコンスタンディヌーポリとローマの相互破門状態は相互撤廃されたが、これによって完全な一致が回復したわけではない。未解決の教理上の問題を双方が検討しあい、和解と一致に向かって進み始める第一歩が開かれ、今日もその対話が継続中という段階にある。よって、信仰上の完全な一致が成立していない現段階では、正教会では信徒のカトリック教会での領聖(聖体拝領、倍餐)、およびカトリック教会信徒の正教会での領聖を認めていない。シリア正教会などの、本項で詳述しているギリシャ正教とも呼ばれる正教会からは非「正統」信仰を持つとされている非カルケドン派諸教会との交流もなされているが、非カルケドン派諸教会信徒の領聖は全教会レベルでは認められない(ただし一部教区では認められている)。
[編集] 信仰の源泉
正教会の信仰の源泉は「聖伝」(せいでん、Holy Tradition)である。聖伝は、ハリストス(キリスト)自身から使徒たちを通じて教会に今日まで流れ受け継がれて守られてきたハリストスの福音、福音的生命、生活でもある。聖伝を過去から受け継ぎ、実践し、未来へと継承する教会は、「ハリストスの体」であり「聖霊が臨在」されハリストスの生命と聖霊に生かされていく。正教徒にとって、聖伝は干からびた形式や化石的な儀礼の集積ではなく、今日も正教会の信仰生活を導く生きた伝承(Living Tradition)として機能している。
「聖伝」は、特定の民族性や文化、典礼様式に内包され内在するものではない。特に今日の正教会は全世界に広がり、それぞれの民族や地域の特徴を帯びている。このようなさまざまの様式、特徴、言語、典礼様式などの諸伝統(traditions)は、唯一の信仰、「聖伝」(Tradition)と矛盾はしない。福音は、民族や各地域の文化や伝統に光を当て、変容させる。それぞれの地域や時代の教会も同様である。しかし福音は、特定の民族性や文化にのみ身を籍ったり内在化するのではない。よって、特定の文化、民族性に固有の特徴、ましてや国家を正教性と同一視することはできないし、普遍的な「正教文化」なるものが存在するわけでもない。
「聖伝」の核心は「聖書」である(下記「聖書の扱い」の項を参照)。次のようなものが聖伝中重要な要素となる。
[編集] 機密
詳細は機密 (キリスト教)を参照
[編集] 聖書の扱い
聖書は聖伝の中から生まれ、聖伝の中核をなすものと正教会では考える。聖書に並ぶ権威を持つ文書や伝承は存在しない。聖書は聖伝の基礎であり、聖伝を確証する基準でもあり、聖伝中の聖伝といえる。このため聖伝を保持する教会のなかで読まれるとき、はじめて聖書の正しい理解が可能になると考える。
正教会で用いる旧約聖書の底本は今日二種類ある。ユダヤ人が伝承したマソラ本文版と、ギリシャ語に翻訳された七十人訳聖書である。七十人訳は使徒たち、初代・古代教会の教父たちも用い、教会の中で広く用いられてきたという歴史がある。この二つの旧約聖書は、細部では少なからぬ相違もあるが、教会はこの二つの伝承を、ともに「旧約聖書」として受け入れている。一説に正教会は七十人訳しか承認しないとも言われるが、誤りである(マソラにない部分については、教会によって諸見解がある)。
公祈祷である奉神礼では一年を周期として新約聖書が通読されるが、黙示録は朗読されない。 旧約聖書は聖詠経(詩篇)が随所で朗読・歌唱される。その他、大斎期間、イサイヤ書、創世記、箴言がほぼ通読される。また大斎期には聖詠経全文が合せて二回通読されることになる。 旧約聖書からの朗読は多く祭日の前日の晩課においてなされる。これをパレミヤといい、特に復活祭・降誕祭・神現祭・旧約の聖人を記憶する祭には多くの箇所が朗読される。 また聖詠経の中の語彙を用いて、新約の信仰に一致するようにアレンジした祈祷文が編集されることも多い。
[編集] 日本語の正教会訳聖書
日本においては、明治時代にニコライと中井らにより「新約聖書」が全訳された。今日も用いられている『我等の主イイスス・ハリストスの新約』である。教会スラブ語聖書を底本に、ギリシャ語、欽定訳聖書、漢訳なども参照しつつ翻訳されたもので、日本正教会では今日も奉神礼ではこの翻訳のみが使用される。 旧約部分については奉神礼で頻繁に使われる聖詠(詩篇)が『聖詠経』として全訳されたが、他の部分については、各祈祷書の旧約朗読箇所(パレミヤ等)の部分的な訳のみにとどまり、全訳は完成されず今に至っている。旧約部分の翻訳は七十人訳ないし七十人訳のスラブ語訳からの訳ではなく、マソラ本文を基礎として七十人訳も勘案して訳された、ロシア正教会シノド版ロシア語旧約聖書からの訳であることが判明している。
[編集] 聖職
詳細は神品 (正教会の聖職)を参照
正教会の聖職者は神品(しんぴん)と呼ばれ、主教、司祭、輔祭から構成される。主教が神品の中心であり、司祭はその権能を主教から分与される存在であり、輔祭は主教・司祭を輔佐する存在である。副輔祭は神品には数えられない。神品は男性に限られている(女性輔祭についての研究は近年進んでいる)。
主教と司祭は、聖体機密を中心とする各種機密を執行する。輔祭はこの機密の執行を輔佐する。輔祭には機密執行の権能は無いが、宝座上の動作の輔佐や連祷の朗誦など輔祭以上の神品にのみ許された役割も多く、その役割は決して小さく無い。
神品の妻帯についていえば、古代には主教の妻帯も認められていた。ナジアンスのグレゴリイ(ナジアンゾスのグレゴリオス)の父は妻子がある身でナジアンゾスの主教職を務めた。しかし中世以降は公会議の決定に基づき、修道士のみが主教に任ぜられるため、主教の妻帯は事実上禁止されている。(ただし例外的に、妻帯者が主教に選出される場合についての規定が教会法上存在し、この際には妻は女子修道院に入ることになっている。)また司祭の妻帯は輔祭叙聖(叙階)時にすでに妻帯しているものにのみ認められ、輔祭職以上の教役者の新たな結婚は、再婚を含め禁止されている。このように、カトリック教会では一部の例外(聖公会などプロテスタント教派からの転籍者や東方典礼に属する者など)のほか、近世以降原則として司祭の妻帯を認めないのに対し、正教会ではこれを認めている。
[編集] 公祈祷と諸祈祷
詳細は奉神礼を参照
正教会における祈祷は、聖伝の一部とみなされている。正教会においては、祈祷は歌であるとしばしばいわれる。たんに言語だけで行われるのではなく、生命のリズムに満ち、五感のすべてを駆使して神に感謝し嘆願し讃栄する。教会がこの世で神へ向けて行う全てが祈祷であり、それは優れて他の信者との交わりのうちに聖神の恵みの許で実現される信仰の営みである。
公祈祷は、通年の教会暦に従い、あるいは時刻に応じて行われる。公祈祷は司祭以上の神品によって行われる公的な祈祷である。ギリシア語ではレイトゥルギア(リトルギア)といい、人々の/公共の奉仕を意味する。これを訳して奉神礼と呼ぶ。ただし、公祈祷のみを奉神礼と呼ぶのは狭義の意味で用いられる場合であり、広義に言われる場合には個人的に行う私祈祷も奉神礼に含まれる(私祈祷については後述する)。
奉神礼のうち、中核にあるのは聖体礼儀である。信者が集ってハリストスの生涯、とりわけ死と復活を記憶し、領聖(聖体をいただくこと)を行い、神とのつながりを新たにする。聖体礼儀においては、必ず使徒書簡と福音書から朗読が行われる。領聖に先立っては、その日の真夜中からの禁食(斎 ものいみ)が求められる(ロシア系の正教会では痛悔機密を受けることも求められる)厳粛なものであり、また神と一体となる喜びの祭である。聖体礼儀は毎週の主日をはじめ、十二大祭をはじめとする種々の祭において行われる。また奉神礼には、時課をはじめとする時刻ごとの祈祷、洗礼などの機密の執行、パニヒダ(死者の記憶)、モレーベン(感謝祈祷)、種々の成聖式などがある。正教会の奉神礼では、祈祷文(祝文)はあらかじめ定められており、構造的に自由な即興的な祈祷がなされることは一切ない。また、古来よりの決まりとして、主日の聖体礼儀をはじめとする公祈祷では立つ姿勢を基本とする。とくに福音朗読と信経の告白では一同に起立が求められる。
ほとんどの公祈祷は基本的に歌われる。歌唱でなく朗詠がなされるもの(誦読)も、伴奏用器楽を一切用いないので歌うに等しい。
正教会の聖堂にはイコノスタシスをはじめ随所に聖像を安置する。公祈祷の中では、これらの聖像に向けての崇敬が行われる。蝋燭の使用も好まれる。蝋燭は神の本質である「光」の象りであり、また「立ち上る祈り」「信徒に下される聖霊」の象りでもある。公祈祷では、乳香を中心とした香を振り香炉で焚く。振り香炉はまた、イコンや信者(精確には、そのうちなる神の像)に対して振り敬意を表す炉儀にも用いられる。炉儀は神品が行う。敬意を表すには、俯礼(おじぎ)や伏拝(身体を投げ出し、額を地につける、叩拝とも)、あるいは接吻などの手段によることもある。
これら公祈祷のほかに、信者には私祈祷が奨励されている。祈祷の文言は、公祈祷同様、正教会の伝統のうちから編まれた祈祷書を用いることが勧められている。原則として、起床後の朝の祈りと就寝前の夜の祈りが勧められており、時課を簡略化したものを用いる。聖三祝文のような幾つかの祈祷は、公祈祷で用いるものと共通である。祈祷文のなかには聖書から直接とられたもののほか、4世紀などの古代およびそれ以降の中世に遡るものも多く、全世界で共通のものが綿々と用いられている。他、食事のときの祈りや就寝直前の祈りも広く行われる。私祈祷においても、聖像・蝋燭・香炉の使用を伴うことは多く、とくに信者は自宅に必ず聖像をおくことを奨励される。
[編集] 教会芸術
正教の教えを可視化・可感化する教会芸術、すなわち聖像(イコン)などの教会美術、聖堂における教会建築、祈祷を歌唱する聖歌なども、聖伝の一部である。聖歌については奉神礼の項目も参照。
[編集] 建築
ビザンティン建築および 東欧諸国のビザンティン建築も参照
歴史的には、個人の家での集会やカタコンベでの礼拝、バシリカ様式の教会などを経験してきた正教会ではあるが、現在もっとも一般的に正教会の聖堂建築様式として採用されているのは、ビザンティン式といわれる様式である。これはバシリカ様式を変形したもので、三つの張り出し部をもつ、ふくらんだ長方形をしている。この形は舟(ノアの箱舟)を象っているとされ、舟を模して内部に木を張ることも行われる。張り出し部は左右の側面にひとつずつ、最奥にひとつ設けられる。西方教会の聖堂と異なり、ビザンティン式では、張り出し部を長く張って側廊とはすることはない。
ビザンティン式聖堂は必ず東を奥にして建設される。開口部は西に正面玄関を設ける他、左右の側面にも扉を設けることが普通である。東はハリストスを象徴する。内部は三つの部分に分かたれる。正面玄関を入ったところを啓蒙所(けいもうじょ)といい、古くは未洗礼者は啓蒙所にのみ入ることを許された。啓蒙所に続く部分を聖所(せいじょ)といい、建築用語でいえば内陣部にあたる。古くは啓蒙所と聖所の区別は明確で扉などで区切られていたが、現代ではその区別は必ずしも明快ではない。聖所の奥に至聖所(しせいじょ)がおかれ、区切りとしてイコノスタシスと呼ぶイコンで装飾した障壁が立てられる。至聖所は聖体礼儀の中核である聖変化がおき、先備聖体礼儀や病者のために先備された聖体が安置されるなど神聖な場であり、立ち入るには司祭の祝福(許可)が必要とされる。なお西方と異なり、聖体そのものが礼拝対象とされることはなく、したがって聖体櫃が聖所に安置されることはない。
またこの他、聖堂には通常、鐘楼が付属する。鐘は公祈祷の開始や終了、やむなく出席できなかったもののために聖変化の瞬間を告げるなどの目的でならされる。
大聖堂など、多数の信者を入れる必要のある教会建築では、集中方式によってドームを作り、巨大な空間を実現したものも多い。アギア・ソフィアなどがその典型である。この場合も、内部の配置は上記と同じである。
教会の内部装飾には、板絵イコンを取り付けるほか、フレスコ画、モザイク、ステンドグラスなどによりイコンを描きだすこともある。
[編集] 美術
聖像(イコン、ギ:エイコーン)は、写実よりも神の国のものを思い起こすための像であることを旨とする。彫像は偶像崇拝に陥る危険があるとして、パニヒダの際に用いる台など一部には見受けられるものの基本的には用いられない。
聖像の形式は聖伝からの逸脱を防ぐことを目的に厳格に決められている。新しい画像を用いることに慎重であり、それぞれの図像は、多く古来伝承された型を教会会議が承認したものを用いる。なお、いったんある程度流布したものが、教義の誤解を招くと禁止されることもある。
7世紀から8世紀にかけて聖像破壊運動が数次行われ、その教義上の妥当性が議論されるとともに古来伝承された多くのイコンが聖像破壊論者による破却によって失われたが、第2ニカイア公会議議決(787年)以来、イコンを用いることは「見えざる神の見えるものからの想起」「ハリストスが托身(受肉)によって聖とされた人間性は、神の像をあらわすに十分な品位と能力を備えている」として正統性を得ている。
18世紀から19世紀にかけて西欧文化が流入するとともに写実的な技法によるイコンも多く作成されたが、19世紀末頃から近年にかけて伝統的なビザンチンイコンの再評価が進み、多くの教会で伝統に回帰したイコンの使用が標準的となっている。ただしウクライナ正教会などのように、現在も写実的なイコンを多く使用・作成する地域・教会もある。また、18世紀から19世紀にかけて建造された教会に存在する写実的なイコンは、そのまま使用されている事も多く、写実的なイコンも全否定されている訳ではない。
なお、イコン以外の、奉神礼では用いられない美術的絵画の中に、正教に題材をとったものも多数ある。宗教的象徴主義の代表的指導者と言われるミハイル・ネステロフ、ワシーリー・スリコフ、ヴィクトル・ヴァスネツォフなどが有名であるが、彼らはこうした世俗絵画の他に大聖堂のフレスコ画イコンも手がけた。
[編集] 音楽
正教会聖歌は無伴奏声楽が原則である。奉神礼との密接な結び付きを要求され、音楽的側面の為に歌詞に変更を加える事は許されない。このため、聖歌を他言語に翻訳する際には音楽に合わせて歌詞を変更するのではなく、歌詞に合わせて旋律と和声を変更する作業が必然的に行われる。
西方教会で用いられるグレゴリオ聖歌・讃美歌・ゴスペル・ミサ曲・レクイエムなどは正教会にあっては全く用いられておらず、楽典的側面における音楽文化の影響の与え合いや中世の東西教会分裂前の伝統の交流を除き、かなり相違の大きい別系統の聖歌伝統・音楽伝統に位置付けられる。
近世に西方文化の流入を受けるまで、バルカン半島、ルーシ諸地域における聖歌は単旋律が基本であったが、現代のバルカン、ルーシ地域における多声聖歌の多くは西欧の多声音楽の影響を大なり小なり受けつつ、古典聖歌と近現代の聖歌を併用している。ギリシャ系の正教会は今でも単旋律、もしくはイソンと呼ばれる通奏低音をつけたビザンティン聖歌を教会で用いている。独自の多声音楽文化を古くから保持していたグルジアでは独自のグルジア聖歌を形成して今日に至っている。
音楽的特徴による分類としては、ビザンティン聖歌、ロシア・バルカン半島諸国の伝統的聖歌、同地域における西方教会の影響を受けた多声聖歌、グルジア正教会における古代以来の独自の音楽伝統に立脚したグルジア多声聖歌などが正教会で用いられる。もちろんこれらの分類が全ての聖歌に正確に当て嵌まるとは限らず、各種の様式を折衷したものや時代による変化の過渡期のものとして位置付けられる聖歌も多い。他地域の聖歌を取り上げて歌うこともしばしば行われている。正教会の聖歌は地域と時代によって豊かな多様性を示している。
古代・中世においてどのような聖歌が歌われていたのかは、記譜法の変化による解読の不可能性や録音の不存在等の事情により、推測の域を出ない。また古代・中世の正教会世界の聖歌文化・奉神礼文化も完全に同じわけではなく、地域によって差があった。
ダマスコの聖イオアン(676年 - 749年)などのように聖歌作曲で知られる古代・中世の聖人も居ない訳では無いが、基本的には聖歌作曲家は無記名であり、今日までその名が知られている古代・中世の作曲家は数えるほどしか存在しない。近世以降も無記名による聖歌は用いられており、その代表例とも言える八調と呼ばれる週替わりのシステムに組み込まれた定められた8パターンの各種旋律の作曲家は、成立経緯の詳細とともに不明である。
一方で18世紀頃からロシアを中心に西方文化が流入するとともに、世俗曲の作曲家も正教会聖歌の作曲に携わるという音楽文化の隆盛をみる。今日も歌われる19世紀の作曲家としてドミトリー・ボルトニャンスキーが挙げられる。ただし西方教会と同様、世俗でよく知られる作曲家が正教会の日常で用いられる聖歌の作曲家と重なるとは限らない(寧ろ稀)。演奏会でよく歌われる正教会聖歌の作曲家と、日常的に奉神礼で用いられる聖歌の作曲家は異なる事が多い。ロシアにおいて前者の代表的な作曲家はセルゲイ・ラフマニノフなどであり、後者の代表的な作曲家はアレクサンドル・アルハンゲルスキーなどである。ブルガリアではドーブリ・フリストフ、セルビアではシュテファン・モクラーニャッツなどが活躍した。
現代においても、アルヴォ・ペルトやイラリオン・アルフェエフ主教などが正教会聖歌の作曲に取り組んでおり、正教会音楽文化の一端を担っている。正教会ではこれら作曲家による近現代の聖歌も歌われる一方で、ズナメニ聖歌と呼ばれる独特の記譜法を持ったロシア正教会の伝統的な単旋律聖歌の復興も平行して行われている。
聖歌以外にも、正教会に関連する音楽伝統・音楽作品が存在する。ウクライナを中心にカリャートカと呼ばれる降誕祭に歌われる宗教歌があり、主に子ども達によって歌われる伝統がある。また、近現代の作曲家によって正教会に関連する宗教的題材が取り上げられる事もあり、ロシアのセルゲイ・タネーエフによる管弦楽付き合唱曲「ダマスコの聖イオアン(ダマスカスの聖ヨハネ)」や、セルビアのステヴァン・フリスティッチによるオラトリオ「ハリストス(キリスト)の復活」はその代表例である。現代ではイラリオン・アルフェエフ主教が管弦楽付き(従って当然、実際の奉神礼では用いられない演奏会用である)のマタイ受難曲とクリスマスオラトリオを、教会スラヴ語歌唱で作曲し話題となった。
[編集] 斎(ものいみ)について
西方教会では、第二バチカン公会議以降、斎の義務がゆるやかになったが、正教会では今でも食物制限を伴う「斎」が教義上重要な位置を保ち、信者の生活の習慣となっている。
斎は主に食物摂取の規定に言及されるが、斎の期間は他の遊興なども控え、行いを慎み、祈りを増やし、学びの機会を積極的に設け、ハリストス・教会のための働きを増すことが勧められている。「断食」という言葉で斎を限定する事は避けられる傾向がある。
斎についてのキリスト教文書の最古の規定は19世紀にコンスタンディヌーポリ総主教庁図書室で発見された1世紀の文書『ディダケー』(十二使徒の教え)である。斎の習慣は旧約時代から継承されたものであり、古代からごく最近に至るまで、東西を問わず守られていた。
斎は祭と表裏一体をなす。大きな祭には必ず厳格な斎がその前に義務付けられる。正教徒の生活は斎と祭によってリズムをつけられているといえる。
[編集] 斎の種類
斎の規定は食品を以下のように分類する。
斎は程度に応じてこれらの食品を禁止または許可するものである。 もっとも厳格な斎は、肉、魚、乾酪、酒、オリーブ油を禁食するものである。明示的に禁止されているのはぶどう酒であるが、他の酒類も避けるのが通例である。これに対して、オリーブ油以外を避けなければいけないかどうかは、論者により分かれる。
最も厳格な斎は次の時になされる。
これに対して、祭および他の定められた時節には、斎が解禁される。
- 光明週間(復活大祭につづく週) この期間はむしろ斎が「禁止」されている。
- 税吏とファリセイの主日につづく週(不禁食週間)
- 乾酪の主日につづく週 ただし肉類は禁止される
また大斎中の主日には酒とオリーブ油、生神女福音祭が大斎期間にある場合には加えて魚が許される。
なお一般信徒の間では斎の際にも魚食は許される事が多い。上記の斎規定はあくまで標準的な修道院のものであり、一般信徒に対してはこれらに比べて比較的緩やかな斎が勧められるのが常である。しかしどの程度の斎・食物規定が信徒に勧められるかは地域・教区によって差があり、一概には言えない。
[編集] 斎の期間
もっとも期間の長い斎は大斎である。土日を除く8週間、合計四十日が最も厳しい斎に充てられる。詳細は大斎の項を参照。
これに対して短い斎は、水・金曜日および定められた祭の前の一日の斎である。領聖前の禁食を斎とみなすならば、半日に満たない斎期間もあるといえる。
これらの中間に
などの比較的長期にわたる斎がある。
[編集] 祭
教会暦も参照
正教会の信仰生活は、1年を周期として組み立てられている。その節目をなすのが祭である。
禁欲と節制の時期である斎に対して、祭期は喜びをもって迎えられる。毎週の主日の聖体礼儀のほか、正教会には小祭・中祭・大祭等の三種類の祭日がある。 大祭は復活大祭、十二大祭、他のいくつかの祭りからなる。これに対して、ほとんどの聖人の記憶日などは中祭または小祭にあたる。 大祭、中祭・小祭の祝い方は各教会によって異なる。ただし復活大祭と十二大祭はすべての教会で祝われる。
基本的に祭日は移動されないが、小教区の教会などでは信者の便宜を図り、一部の祭日を近い主日に移動させて祝うことも行われる。
なお、正教会の多くはユリウス暦を使用しており、グレゴリウス暦を使用している西方の教会とは祭を行う日が異なることが多い。またかつては世界創造紀元という、いわゆる「西暦」とは違う紀元を使用していた。
[編集] 復活大祭
詳細は復活大祭を参照
復活大祭とは西方教会の復活祭(イースター)に相当する正教会最大の祝祭日であり、他教派に比べ典雅華麗になる傾向がある。 それは「祭の祭」「祝いの祝い」とも称される。
復活大祭当日の深夜、聖職者が「ハリストス復活!」と告げると、信徒は「実に復活!」と応答し、復活の賛歌「ハリストス死より復活し、死をもって死を滅ぼし、墓にある者に生命を賜えり」を唱和するならわしがある。地域によっては、聖歌を数時間にわたって歌い続け、徹夜祷となることもある。
[編集] 十二大祭
移動祭日は復活大祭の日付を基準として決められる。他は固定祭日である。ユリウス暦上での日付を採用する教会では、対応する祭があるものは、カトリックと同じ日付である(ただしグレゴリオ暦上の日付は異なる)。主の降誕祭に限り、教会によってグレゴリオ暦の12月25日におこなうところもある。
☆移動祭日
[編集] 正教会に所属する教会
詳細は正教会の教会機構一覧を参照
コンスタンディヌーポリ総主教座との一致にある教会か否かが、全世界の正教会コミュニティの中でその教会法上の合法性を満たしているかどうかの分りやすい指標となる。コンスタンディヌーポリ総主教座との一致にある事が、当該教会が教会法上の合法性を満たしている事を示すと考えて良い。ただしコンスタンディヌーポリ総主教座との一致に無い教会に対しても、どの程度の教会法上の合法性に対する疑義が他の正教会から持たれているかは個々の教会ごとに差異があり、その扱いは一定していない。
[編集] コンスタンディヌーポリ総主教座との一致にある教会
- コンスタンディヌーポリ総主教庁(全地総主教庁)
- アレクサンドリア総主教庁
- アンティオキア総主教庁
- アンティオキア総主
