文鮮明 - Wikipedia

文鮮明

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文鮮明(ぶん せんめい /문선명、ムン・ソンミョン/ Sun-Myung Moon) 1920年2月25日(88歳))は、韓国人宗教家世界基督教統一神霊協会―いわゆる 統一教会(統一協会)の創立者であり教祖朝鮮平安北道(現在は北朝鮮統治区域)出身。戦前は朝鮮の日本からの独立を目指す抗日運動の活動家でもあったと称している[1]。 本名は文龍明(ぶん りゅうめい/문용명、ムン・ヨンミョン、)[2][3]、p68)([4]、p25)。

目次

[編集] 概略

文鮮明は自らを聖書預言された再臨イエス・キリストメシア)であると自称している。全人類の父母の立場にあるということから信者から「真の父母」とも呼ばれる。最近は「天地人父母」、「平和の王」、「根本先祖」という言い方も用いられるようになった。信者は文鮮明を、「お父様」、「真のお父様」、「アボジ」(お父さん)、「アボニム」(お父様)などと呼ぶ。妻の韓鶴子(ハン・ハクジャ)も含めて言うときは「真の父母様」、「真の御父母様」と呼ぶ。正式な名称は「天地人真の父母様」だとされる[5]

3人目の妻(2度目は法律婚していない)韓鶴子(ハン・ハクチャ)との間に14人の子供(3人は既に他界)と、40名ほどの孫を持ち、自らの家庭を「神の家庭」、「真の家庭」とし、全人類が模範とすべきモデル家庭だとしている。

但し、子供達の中に飲酒、喫煙、麻薬の使用や、男女問題離婚など、教義上の禁忌(タブー)に触れる事をする者が少なからずいることへの批判がある。他方、教団内ではそれは信者の不信仰ゆえに起こったことだと説明されている。

人類の根本的なである原罪メシアである自分によってしか清算出来ないと主張する。

人類始祖、アダムとエバの愛の過ちにより「サタンの血統」に陥った堕落人間を「の血統」に転換するとの独自の教義に基づき、「合同結婚式」により、国際カップルを含む多くの男女を結びつけて来た。

文鮮明は宗教活動に留まらず、機械製作会社(銃の製造を含む)、製薬会社、新聞社、銀行から自動車、食品、旅行など様々な分野の企業を設立し、政治、経済、宗教、科学、言論などに関する会議や財団を数多く創立した。その全ては「地上天国」の実現のためのものであるとされている。

韓国日本アメリカを初めとして世界の政治家宗教家など、有力者との関係を持つ[6]。政治的には保守派と関係が深く[3] [6]、アメリカでは共和党、日本では自民党、韓国でも歴代政権と関係を持ってきた。KCIA時代からの国家情報院との関係もよく指摘される。韓国では独自の政党を組織し、政界進出を試みている[7][8]

「統一教会」は草創期から、韓国本国を初め、日本、アメリカでも多くの反対を受けて来ており、教団設立以前に、抗日独立の地下活動を行って来た時代から、文鮮明はこれまでに6度投獄された経験を持つ。文鮮明自身も、自らを歴史上、最も迫害された宗教者であるとし、それが自分が本物である証だとしている。米国に於ける統一協会企業の脱税で容疑者となった際に、内部のメンバーには、「イエス・キリストが十字架に掛けられた原因は、税金を支払わなかったからだ」というメッセージを発表した。

但し、これも金日成赤軍によって「抗日活動家」として偽装させられたとする疑惑があるように、文も右派の宗教勢力としての役割を担わせるためにKCIAの都合により「抗日活動家」の肩書きに結び付いたとも云われている[要出典]

韓国で噂になった「血分け」をしていたという疑惑や、日本で社会問題になった霊感商法について、教祖自身は公式には一切言及していない。

統一教会は世界の多くの国(特にヨーロッパ)から問題のあるカルトセクト)として警戒され、入国できない国が多く、日本でも毎年入国問題がとりざたされてきていた。しかし、ここ数年、フィリピンはじめアジア諸国、オセアニア諸国において、教祖やその家族の講演をはじめ様々な活動が展開されている。2006年には、ドイツが教祖の入国を許可した。対して韓国では、教義の違いから一般のキリスト教会の反対が強い。日本では、キリスト教関係者のみならず、弁護士団体や元信者からの反対も強い。

文鮮明自身も自らの後継者を考えるべき高齢になっているが、当初、予定されていた長男が様々な問題を起こしたので、三男である文顕進(ムン・ヒョンジン)を後継者に立てる体制を確立しつつあった。

2008年4月、統一教会は宗教分野における後継者は七男の文亨進であると発表した[9]

長らく、アメリカのニューヨークに居を構え、活動してきたが、2006年に韓国の京畿道加平郡清平(チョンピョン)建てた「王宮」に住むことになった。

[編集] 来歴

注:(来歴の前半は教団の資料のみによる情報が多い。事実性に関しては不確定の部分もあり。)

[編集] 少年時代

  • 1920年2月25日陰暦1月6日)、日本統治時代朝鮮平安北道(ピョンアンプクド)定州郡(チョンジュグン)徳彦面(トゴンミョン)上思里(サンサリ)2221番地で、文慶裕(ムン・キョンユ)・金慶継(キム・キョンゲ)夫妻の次男として生まれる[1]
龍明”(ヨンミョン/りゅうめい)と名づけられる(以後、教義の中核に当たる真理『統一原理』を解明したときに、神から“鮮明”という名前を授かったとする)。上思里は家が15軒ほどしかない農村で、9軒が文氏姓であったため、「文村」と呼ばれたという。 兄が一人、姉が三人、弟妹が5人くらい、いたとされ、両親は農業を営み、一家は長老派教会系の熱心なキリスト教徒であったという。
  • 1927年 7歳から13歳まで、一般家庭の子供たちが通う書堂で、漢文を中心に学ぶ。
  • 1932年 12歳のころ、康村にある長老派教会に通う。
  • 1934年 14歳で、定州にある私立五山普通学校に入学。
  • 1935年 (15歳)
4月17日 数え年で16歳の時、復活祭に当たる日(あくまで文鮮明の主張である。カトリック、プロテスタントともに、この年の復活節は4月21日であった。)に、猫頭山(ミョドゥサン)でいつものように祈っているとイエス・キリスト が霊的に現われ、“イスラエル民族が自分を不信したため、果たせなくなった のみ旨を果たしてほしい”と請われたが、その重大な容ゆえに何度も辞退したが、その最も悲惨で困難な道を、誰かが行かねばならないことを悟り、受け入れたという(米国のテレビのインタビューでは「イエスはヘブライ語なまり韓国語で話した」と答えている)。
以来、絶対的真理を解明する戦いを始めたという。
定州公立の普通学校に転校。
春、小学校の卒業式で、演壇に立ち、教育や教師への批判、時代批判などを一時間近く訴え大問題となったという。 故郷を離れ、京城府(現在のソウル)にあった京城商工実務学校電気科に入学。
長老派系のイエス教会所属の明水台(ミョンスデ)教会の日曜学校で、子供たちを指導したという。平壌(ピョンヤン)からしばしば訪ねて来たイエス教会の幹部である李浩彬(イ・ホビン)、朴在奉(パク・チェボン)牧師たちと、信仰の境地について語り合う。また、生活に苦しむ人間の実態を知るために、日雇い労働、農夫、漁夫、波止場の人夫、炭鉱の鉱夫など、警察と軍隊以外のことを多く経験したという。
また、地下活動を含む抗日活動を始める。摂理として、朝鮮(大韓帝国)を日本から独立させることが目的であったとされる。
ソウル駅前や昌慶苑(太宗を祭る宮殿)などにおいて、時代情勢について演説したりしながら3年間伝道。
12月 京城商工実務学校を卒業。抗日活動を警戒されてか、日本留学の許可が得られなかったので、警察署長に直談判して許可を得たという。

[編集] 日本留学時代

4月 日本に留学。「創氏改名」制度を利用し、「江本」という日本姓を名乗る。新宿区戸塚町の三橋宅に下宿しながら、早稲田大学附属の早稲田高等工学校電気工学科に学ぶ(戦後の学制改革で早稲田大学工業高等学校となるが、1968年に廃校となった。昔は“早稲田大学高等部を経て理工学部に学んだ”と称していたが、早大に高等部は存在しない。また、文鮮明はそのときの日本名は山本朋成であったと語っていたが、後にその名前の別人がいることが判明した[3]
東京留学中も抗日活動に励み、当事、第二次国共合作中の中国の重慶の亡命政府大韓民国臨時政府の主席で、対日宣戦布告していた金九(キム・グ、武力闘争を中心に活動した独立運動家)とも連絡を取り、地下活動を行う。要注意人物として、毎月、高田馬場の戸塚警察署に呼び出されたという。
朝鮮系留学生達と共に第二次大戦での朝鮮の青年、学徒の徴兵に対する抗議集会を行う。
また、『聖書』を初めとして、宗教や哲学の勉強を熱心にしたという。また、社会の現実を知るために、日雇い労働のために、東京の各地、横浜川崎千葉品川の裏町の貧民窟新宿の裏町の酒場などへも行ったという。後に「統一原理」と呼ばれることになる真理を発見したのは、20代前半だという。

[編集] 朝鮮帰国以降

9月 戦争の激化で、早稲田高等工学校を半年短縮して卒業。2年半にわたる日本留学を終え朝鮮に帰国。
12月 18歳の崔先吉(チェ・ソンギル)と約婚(教団では「真の母」としての第一候補だったとされ、年齢は十代で、篤実なキリスト教徒であり、洗礼ヨハネの使命を果たす女性という条件で選んだと言う。お見合いだったとも言われる)。
年初 満州ハイラル区で就職する予定にしていたが、世界情勢の変化を見て、朝鮮に残るべきだと考え直し、鹿島組(現・鹿島建設)の京城(ソウル)支店に電気技師として就職。
5月 崔先吉(18歳)と聖婚式を挙げる。「血分け」を行う混淫派とも言われる李龍道(イ・ヨンド)派のイエス教会の幹部である李浩彬の司式により行われたとも言われる。
10月 日本留学時の抗日運動の事実が発覚し、京畿道(キョンギド)警察部によって連行され、拷問を受ける。
日本での地下活動の内容と関連者の名前を白状するように迫られたが、最後まで黙り通したという。従兄弟の文龍基(ムン・ヨンギ)たちが有名な弁護士を雇い、3か月で無罪釈放されるように働きかけたという。
2月 半死状態で釈放される。ただちに鹿島組へ復職。
4月28日 崔先吉と結婚。婚姻届を出す[10][4]、p33)。

[編集] 「荒野40年路程」の始まり

8月15日 第二次世界大戦の終結と共に鹿島組を退職。
10月 イスラエル修道院金百文(キム・ペグムン、1917年1990年)に学ぶ。ソウルの上道洞(サンドドン)礼拝所の補助引導師をする。
12月25日 クリスマスに当たるこの日に、霊界からの啓示を受けた人からソロモン王の祝福を受けたという。さらに、啓示によって、みなが文鮮明に従うようになったのを金百文が妨げるようになり、文鮮明に対し敬遠するようになったという。
10月中旬ころ 故郷の朝鮮北部・定州郡に帰る。いとこの文龍基(ムン・ヨンギ)と買い物をしたとき出したお金が偽物と疑われ、二人とも牢獄に入れられる[4]。小学校時代の担任であった郭山(クァクサン)の警察署長に身元の保証を請け負ってもらい釈放される。
4月 イスラエル修道院では神のみ旨が果たせないと考え去ったという。
4月2日(陰暦3月1日) 崔先吉との間に長男、文聖進(ムン・ソンジン)が生まれる([4]、p33)。
妻子を置き去りにして、南北分界線の監視区域を突破し、ソ連支配下の平壌へ向かう。
6月6日 平壌に到着する。摂理で用意された神霊集団を再統合するためだとされる。それらの集団は「混淫派」や「霊体交換派」と呼ばれる「血分け」を行う者達だとも言われる。
家庭集会を中心に伝道し、弟子を得るが、弟子の家族や信者を奪われた牧師たちの反対が強くなる。
8月11日 牧師の訴えと共産党から李承晩スパイ容疑(風俗紊乱の廉で逮捕収監だったとも言われる)で大同保安署に3ヶ月間収容される。同じく投獄されていた腹中教許孝彬(ホ・ヒョウビン)に「司法当局(朝鮮共産党政権下の治安機関)は受けた啓示を嘘だと言えば釈放するといっているのだから、それを認めて牢獄から出よ」と書いた手紙がに発覚する。
9月18日 午後2時から本格的拷問が始まる。
11月21日 半死状態で釈放される。
2月22日 キリスト教団の訴えで、内務省に拘束される。
4月7日 社会秩序を乱したという社会紊乱罪で、重労働5年の刑を言い渡される[4]教団の講義ではこう教えられるが、批判側の資料には、実業家の妻金鍾和(キム・ジョンファ)と怪しげにみえる儀式を行っているところに警官が踏み込み、強制結婚の現行犯で逮捕され、夫の告訴により、懲役5年の実刑をうけ、相手の女性も10ヶ月の実刑となり共に収監された、とある[3])。
5月20日 咸鏡南道 の興南(フンナム)にある「徳里特別労務者収容所」(通称、興南収容所。日本窒素肥料株式会社<現:チッソ>が1927年に建てた大規模化学コンビナート工場に通勤する元・従業員寮)に入れられて化学肥料(硫酸アンモニウム)を袋に詰めて運ぶ重労働に服する。
10月14日 朝鮮戦争中の国連軍により興南収容所が爆撃され、解放される[4]
10月24日 平壌に戻り、40日間弟子を訪ねて回る。
12月4日 朝鮮南部への避難を始める。
1月27日 大韓民国の臨時首都であった釜山(プサン)府(現;釜山広域市))の草梁(チョリャン)駅に到着。5年ぶりに妻子と再会。第三埠頭で働いたり、米軍部隊の木工部などで働き、夜は説教を行う([4]、p33)。
5月 自らの教えをまとめた『原理原本』の執筆を始める。
5月10日 一年をかけて『原理原本』を書き上げる。同日、高麗神学校(現在の高神大学校)の学生で伝道師の姜賢実(カン・ヒョンシル、現在、教会ではアウグスチヌスの妻とされている)が訪ねて来る。後に入教。
12月 済州島から李耀翰(イ・ヨハン)牧師が訪ねて来て、入教。
12月 ソウル大学出身の劉孝元(ユ・ヒョウウォン)が入教。

[編集] 統一教会設立以降

5月1日 ソウル世界基督教統一神霊協会を設立する。最初の会長は李昌煥(イ・チャンファン、後に脱会)
文鮮明は妻子ある立場で、教団に入教したての延禧(ヨンヒ)専門学校{現在の延世(ヨンセ)大}の学生、金明熙(金明姫、キム・ミョンヒ、当時24歳)と関係を持つ([4]、p36)。
年初め 金明熙が梨花女子大学の音楽家講師、梁允永(ヤン・ユニョン)の家を出て、釜山区(現;釜山広域市)で暮らす。
3月24日 当時のエリート校であった梨花女子大の教授や生徒が次々と統一教会(統一協会)入信し、大学は異端の信仰をやめないことを理由に、崔元福(チェ・ウォンボク)・金永雲(キム・ヨンウン)・梁允永(ヤン・ユニョン、音楽家講師)ら5名の教授・助教授を免職に、14名の学生らを退学処分とした。延禧(ヨンヒ)専門学校でも教授が免職処分、二名の学生が退学処分となる。
マスコミは当初、信仰の自由を認めない大学側を批判したが、やがて、教団に批判的な報道をするようになる。文鮮明が「血分け」をしているとの噂が広まり、教会に対する社会的批判が高まる。
7月4日 警察(治安局特殊情報課)により、兵役法違、某大学生を三日間不法監禁したという容疑で逮捕される。後日、劉孝元、金百弼、劉孝永(ユ・ヒョウヨン)の弟子3人も逮捕される。
8月17日、金明煕が日本に密入国した直後に東京で、文鮮明の子、文喜進(ムン・ヒジン、男) を産む[11]([4]、p36[12]教団では「真の母」としての第二候補であったが、外国で不幸な事件に巻き込まれ 「真の母」としての立場を続けることができなくなり、自ら身を引いたと説明している。[13]金明煕は1998年の合同結婚式で霊界ソクラテスと祝福を受けた。)。
10月4日 ソウル地方院の結審公判で、訴えていた女性側が告訴を取り下げたため、無罪放免となるが、劉孝元は5千ウオンの罰金を科せられ、他の2二人は懲役8か月となる。
10月7日 出監獄直後に教団本部をソウルの龍山区青坡洞(チョンパドン)1街71番地に移転。
12月 現在の妻、韓鶴子の母である洪順愛(ホン・スネ)が入教。
1月8日 12年近く連れ添った崔先吉(チェ・ソンギル)と離婚[14]教団は最も愛する妻を犠牲にして弟子たちを愛した文鮮明の心情を理解できずに、自ら「真の母」の立場を放棄したと説明している[15]
後に自身の妻となる13歳の統一教会信者、韓鶴子と初めて対面する[16]
忠清南道(チュンチョンナムド)の鶏龍山(ケリョンサン)で40日の断食祈祷を行ったという。
韓国軍の陸軍中佐の朴普煕(パク・ポーヒー)が入教。
「原理解説」を発刊。
6月 宣教のため、韓国の西川勝{韓国名は崔翔翼(チェ・サンイク)または崔奉春(チェ・ボンチュン)}を日本に密入国させる。不法入国で逮捕された後、逃亡した西川は各地を転々と逃げ回った中で、同じく密入国した金明煕をかくまっていた品川霊能者、志賀如心の所にも身を寄せたという。全国モーターボート競走会連合会の会長であった笹川良一が逮捕された西川の身元引受人を買って出たが、文鮮明は「日本の陰謀だから、帰国するように」と指示[17]
9月 金永雲(キム・ヨウウン)を宣教師としてアメリカへ派遣する。
4月頃 金明熙が4年ぶりに韓国に戻る[12]。文鮮明は喜進(ヒジン)を認知し([4]、p36)。

、喜進だけを自分の戸籍に入れ、女性幹部の家で育てさせたという[18]

7月20日 全国120か所で、夏季40日間の開拓伝道が行われる。
8月15日 教理解説書『原理解説』が発刊される。
12月26日 冬季の40日伝道が行われる。
弟子の宋(ソン)長老と趙(チョン)イルチョンを連れて八道江山(パルトガンザン)の有名な師を訪ねる為、釜山近郊の寺刹を巡る[18]

[編集] 聖婚式(韓鶴子との結婚)以降

3月27日 ソウルの竜山区の青坡洞(チョンパドン)の本部教会(当時)で、23歳年下(17歳)の韓鶴子(ハン・ハクジャ)と約婚式を挙げる。翌年からこの日を「父母の日」という祝勝日とする。
第三アダムとして来た「真の父」である文鮮明が、新婦としての「真の母」を復帰して、人類の真の父母となる基準が満たされたとされる。
4月11日(陰暦3月16日) 韓鶴子(3人目)と結婚式を挙げる。文鮮明はこれを聖書の「ヨハネの黙示録」に書かれた「子羊の婚姻」(イエス・キリストの結婚)と意味づけ、「聖婚式」と呼ぶ。「(歴史上)初めて、“神の家庭”が地上に復帰された」と文鮮明は言う([19]、p230
4月16日 ソウル特別市 龍山区青坡洞本部教会において、金栄輝(キム・ヨンヒ)と鄭大和(チョン・テーファ)、劉孝元(ユ・ヒョウウオン)と史吉子(サ・キルジャ)、金元弼(キム・ウオンピル)と鄭達玉(チョン・タルオク)の三組の合同結婚式を行う。
11月19日 「子女の日」を宣布する。
1月27日 文鮮明と韓鶴子との間の第一子、文誉進(ムン・イエジン)が生まれる。
5月15日 33組の合同結婚式を行う。前年の3組と会わせた36組は教団の幹部層を形成する。
12月27日 文誉進の出生届けを提出。
12月29日 長男、文孝進(ムン・ヒョウジン)が誕生。韓鶴子との婚姻届けを提出。
6月4 72双の合同結婚式を行う。式典に笹川良一夫妻も参列。
6月26日 6韓国の京畿道仁川埠頭にて「天勝号」進水式。その後、船舶事業は負債が膨らみ中止になる。
7月28日 次女の文恵進 (ムン・ヘジン)が誕生するが、生後1週間で他界。(8月4日)
7月26日 「万物の日」を宣布する。真の父母(文夫妻)と真の子女(文夫妻の子供たち)が一体となって万物に対する所有を決定したという。
1月 翌年の1月まで、韓国を初め、世界の40か国を巡回し、120ヶ所の「聖地」を定める。崔元福(チェ・ウオンボク)が随行し、通訳を務める。
1月 統一教会(統一協会)の日本上陸後、初来日。8箇所の聖地を決定する。
1月29日 学生時代に下宿していた三橋家を訪ね、大家だった三橋イトと再会。
日本に二度訪問。
6月25日 アメリカのアイゼンハワー大統領と会談する。「宗教の国連を造って、世界を指導する基盤としなければならない」と提案したという。
韓国で機械製作会社「統一産業」を創立し、の製造を始める。
11月7日 韓国において、「キリスト教超教派運動本部」を設立する。
6月 日本に2か月滞在する。日本の責任者クラスの百数十名を集めて、「原理大修錬会」を開催する。
7月 「世界反共連合」を設立するために日本の山中湖畔で児玉譽士夫笹川良一と会合したという。[2][20]
1月1日 「神の日」を宣布する(妻の韓鶴子が女性として完成したことによって、歴史上、初めて地上に“神の家庭”が立ったと宣言した)。
1月13日 共産主義に対抗するため韓国で「国際勝共連合」を設立する。
2月22日 436組の合同結婚式を行う。久保木修己が日本人として初めて参加。
4月 日本でも「国際勝共連合」を設立する。
2月~5月 43組の合同結婚式を行う。
世界巡回をする。崔元福が随行し、通訳を務める。
8月1日 金明煕との間の子、14歳の喜進(ヒジン)が、開拓伝道に行く途中で列車から転落死する。(忠清北道梅浦駅)
9月 日本武道館で、「世界反共大会(WACL)」が開催される。
10月21日 777組の合同結婚式を行う。世界十か国から参加する。
12月 祝福家庭婦人を3年間の開拓伝道に送り出す。韓国民族が統一教会(統一協会)を受け入れなかった失敗を取り返すためだとされる。

[編集] アメリカ進出以降

イエス・キリストを韓国の女性信者、張貞順(チャン・ジョンス)と祝福したという(1972年1973年にも同様のことが語られる。)[21] [22] [23] [24]
12月6日 薬学博士号を持っていた洪性杓(ホン・ソンピョ、36家庭、洪蘭淑の父)に命じて、韓国において、製薬会社(これが「一和製薬」、後の「一和」となる)の設立を命じる。
12月 啓示を受けたとして、アメリカへ渡る。
2月~ アメリカの七大都市(ニューヨーク、ワシントンD・C、ボルチモア、フィラデルフィア、サンフランシスコ、ロサンゼルス、バークレー)やヨーロッパの二大都市で講演する。
4月 韓国で「統一神学校」を開校する。
10月 「統一思想研究院」を設立する。李相憲(イ・サンホン)が院長に就任。
11月 ニューヨークで、第一回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」を開催する。
ニューヨーク州郊外にあるウエストチェスター郡の22エーカー(約26ヘクタール)の土地を85万ドル(当時の為替レートで約2億5千万円)で購入([4] 、p69)[25]
12月18日、子供たちが、韓国から米国のベルベディアに移住する。
5月 「世界平和教授アカデミー(PWPA)」を発足する。
6月16日 文聖進と金東淑(キム・トンスク、金元弼鄭達玉の間の娘)とを祝福する。(婚姻届は1976年9月20日)
10月~翌年 アメリカの21か都市で、「危機に瀕するキリスト教と新しい希望」と題して、三日連続の講演を行う。
 : ベルベディアの近くに18エーカーの地所を56万6150ドル(当時のレートで約1億4千万円)で購入。 ここを「エデンの園」を意味する「イーストガーデン」と命名する([4]、p69[26]
11月30日 ウォーターゲート事件で糾弾されているニクソン大統領を擁護する声明を「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」に出す。『許せ、愛せ、団結せよ』と訴える。
アメリカでの永住ビザ(グリーンカード)を取得する。
12月24日上記声明をサンケイ新聞に掲載する。
2月1日 ホワイトハウスニクソン大統領と30分間ほど会談する。
2月15日~ アメリカの32か都市で、「キリスト教の新しい未来」と題して3日連続の講演を行う。イエス・キリストは死ぬために来られたのではなく、イスラエル民族の不信仰によって殺されたこと、再臨のキリストは人として地上に来られることなどを語る。
5月7日 日本の帝国ホテルで開催された「希望の日晩餐会」(名誉実行委員長は岸信介)で「為に生きる」という題で講演する。
ために存在する原則をもって個人、国家、世界が生きるときに地上天国になるという内容。
福田赳夫大蔵大臣は「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる'文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返す。安倍晋太郎中川一郎保岡興治中山正暉石井公一郎ブリヂストン副社長)、笹川了平(大阪日々新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らの他らの他、40名ほどの小学校、中学校、高校の校長達が出席。
9月18日 ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、「希望の日」大講演会を行う。2万数千人が集まる。その後、アメリカの八大都市で講演する。
10月8日 アメリカの国会議事堂に招待され、講演を行う。
11月14日 統一教会(統一協会)本部で岸信介元首相と会談。当時の写真
「リトルエンジェルス芸術学院」(現:「成和芸術高等学校」)を創設([4]、p86-p87)。
1月1日 日本で日刊新聞『世界日報』を創刊。
日本と韓国で全国を縦断して、「希望の日」晩餐会で講演する。
1月16日 韓国の朝鮮ホテルにおける「希望の日」晩餐会を行う。韓国において、初めて公の場で講演する。丁一権(チョン・イルクォン)国会議長を初め、7百名余りの著名人が集まる。
2月8日 ソウル市奨忠体育館で1800組の合同結婚式を行う。
4月1日~5月16日 韓国の9か都市における「希望の日」晩餐会(各々2日間)で講演。
2月13日 通過査証での日本滞在にもかかわらず武道館で講演を行った後、合同結婚式のための1610組の指名婚約を行ったため、入国管理法違反に問われる[27]
5月1日 韓国で「総解怨式」を行う。
6月7日 韓国のヨイド五・一六広場における「救世救国大会」において、「世界の中の韓国」と題して、共産主義打倒を訴える。
7月、米国東海岸ボストン北部にあるグロースターでマグロ釣りを中心とする「海洋摂理」を始める。第一回目の四十日のマグロ釣りをする。
日本の統一教会(統一協会)に送金命令を始める。
世界127か国に宣教師を派遣。
6月1日 ニューヨーク州のヤンキー・スタジアムで、「アメリカに対する神の希望」と題して講演を行う。5万人が集まる。
9月18日 ワシントン広場で、「アメリカと神のみ旨」と題して講演する。歴史の中心的立場に立ってきたユダヤ教、キリスト教と統一教会(統一協会)が一つになって世界の宗教を統一し、3つの宗教の基盤であるイスラエルとアメリカと韓国が一つになって世界統一のために貢献すべきことを訴える。50万人が集まる。
10月4日 「天克日」(天の克服の日、当時は「天勝日」と呼んでいた)を宣布する。文鮮明の築き上げた基盤により、神のみ旨が必ず成就する条件が立ったとされる。
アメリカの大統領に選出された民主党ジミー・カーター共産主義に甘いことなどを激しく批判する運動を展開する。
5月3日 16回目の聖婚記念日に当たるこの日に、韓鶴子が、夫、文鮮明との結婚以来、サタンの試練を受け、人知れない苦労の道を歩んできたことを信者らの前で告白する。
5月3日 ドナルド・フレーザー米下院議員が文鮮明の特別補佐官である朴普煕(パク・ポーヒー)をKCIAの工作員等の疑惑で議会に召喚する。
5月7日 文鮮明とウォーキートーキー(小型無線機)を持った護衛を含む教会員10名(2名は日本人幹部)がニューヨーク市北部のバード・カレッジという大学の構内に不法侵入した疑いで逮捕されたと『毎日新聞』が報じる。(同上)教団側は不法侵入ではなく、観光していた、滝を見ていたと説明した。保釈金を積んで釈放される。
来日目的に違反して合同結婚式を日本国内で突然強行し、入国管理法違反で以後入国を認められなくなる。
2月2日 「文鮮明師は血分けをしている」と主張していた元信者、金明煕を統一教会が名誉毀損等で訴えた裁判において、金明煕が「名誉毀損」等で有罪判決を受ける[28]
2月21日 60歳の還暦祝う会が盛大になされる。
自ら創設した新聞『ニューズ・ワールド』で米大統領選に於いてレーガン候補の圧勝を予想する記事を書くように指示[1]
南米における反共産主義運動のためにCAUSA(カウサ、アメリカ統一教会連合)を設立([4]、p184)。
3月30日 狙撃されたレーガン大統領の回復を祈る集会に朴普煕と共に参加。朴は、「ボリビアを反共の砦の中心とするのは、神の意志だ」と演説。文鮮明は、7000人の宗教軍を募集してトレーニングした。
イギリスの内務省が入国申請を却下。
日本の法務省が入国申請を却下。
5月 長女の文誉進(ムン・イエジン)を洪珍輝(ホン・チンフィ、洪蘭淑の兄)と祝福する。
5月4日 文鮮明がアメリカ人の愛国心を高める目的で製作させた映画『インチョン!』がアメリカで公開される。興行成績がふるわず、わずか数週間だけ上映され、4410万ドル(約110億円)もの赤字となった[29]
10月 文鮮明名義の銀行預金に対する1973年からの三年間の利息について納税申告を怠ったという脱税容疑で、ニューヨーク州連邦地方裁判所に起訴される。
11月 第十回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」で、全世界を高速道路で結ぶ「国際ハイウェイ構想」と「日韓トンネル」建設を提唱する。
1月 長男の文孝進(ムン・ヒョウジン)を洪蘭淑(ホン・ナンスク)と祝福する。蘭淑のビザ取得のために ニューヨークでの国際ピアノ・コンクールをでっち上げる。(孝進と蘭淑の結婚はニューヨーク州の承諾年齢に達していなかった[4]、p94、p107、p108 )。
5月17日 アメリカで保守系の日刊新聞、「ワシントン・タイムズ」を創刊する。(前年に米国で唯一の保守系新聞であった「ワシントン・イブニング・スター」紙が廃刊したことに危機感を覚えた政府が、保守系日刊紙の創刊を積極的に勧誘していたところ、統一教会のメディア会社の「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」社がそれに応じた)
7月1日 2075組の合同結婚式を行う。
ユニバーサル・バレエ団を創設
7月16日 第一審の連邦地方裁判所で、懲役10か月、罰金2万5千ドル(約580万円=当時)の有罪判決が下される。
10月14日 6000組の合同結婚式を行う。
来日を希望するも入国認められず。
10月 韓国の女性月刊誌『女苑』(ニョオン)11月号で、妻、韓鶴子の特集記事が出る。
1945年から1985年8月15日までの期間が「荒野40年路程」であると発表し、最後の三年路程の結団式を行う。
『世界日報』の紙面作りにおいて、教会色を押さえ、一般紙を志向した副島嘉和編集局長らを追い出すために、「休刊してでも、天の伝統を打ちたてよ」と指示したという。
11月 韓国の八大都市で、大規模な「勝共大会」を行う。
12月23日 八大都市の最後の光州大会の最中、次男の文興進(ムン・フンジン、17歳)が珍福(チンボク)と珍吉(チンギル)の二人の祝福子女と夜の外出から戻る途中、凍結した道路で故障中のトラックに激突する自動車事故で、瀕死の重傷を負う。
1月2日 脳死状態にあった興進の人工呼吸器のスイッチを切ることに同意する。
1月3日 「愛勝日」を宣布する。前日に他界した次男の興進を霊界における「全権大使」に任命したと宣言。イエス・キリストより上位の位置にあるとされる。
2月 三女の文仁進(ムン・インジン)と朴珍成(パク・チンソン、朴普煕の長男)のカップルと、亡くなった次男の興進と教団のナンバー2の朴普煕(パク・ポーヒー、36家庭)の娘、朴薫淑(パク・フンスク)のカップルを結婚させる(アメリカの法律では死者との結婚は認められないので、文鮮明は朴薫淑を養女にした)。
5月14日 アメリカの連邦裁判所は文鮮明の上告申請を却下。脱税の罪で懲役一年六ヶ月の実刑判決を受ける。
5月16日 「愛天日」を宣布。
7月19日 収監の前日に当たるこの日に、今回の裁判は政府による宗教迫害であるとの声明を発表。出国すれば罪に問われないが、刑を受け入れることを表明。アメリカでの永住権を約束したグリーンカードは失効せず。
7月20日 側近(アメリカの伝道責任者)の神山威と共に、コネチカット州のダンベリー連邦刑務所に収監される。
アルゼンチンのラプラタ・カトリック大学から名誉法学博士の称号を授与される。
7月20日 側近(アメリカの伝道責任者)の神山威と共に、コネチカット州のダンベリー連邦刑務所に収監される。
12月 50億円以上をかけ、全米の30万の牧師たちに、ビデオデッキ5万台を貸しだし、原理講義のビデオテープや自らの説教集などを配る[3]
2月1日 「開天日」を宣布。
4月 「父母の日」に特別な許可をもらって、ダンベリー刑務所から一時出て、日本のリーダーたちに、1か月で100億円の献金(TV100と呼ばれた)を果すよう指示[30][31]
日本宣教の開拓者である西川勝が脱会の意向を伝えるため、ニューヨークに会いに来たが、側近を通じて会わないと断る。
6月6日 アメリカのレーガン政権が、イランへの武器売却代金を、共産化したニカラグアに反対するゲリラ、「コントラ」援助に流用していたことが暴露され、議会がイランへの武器販売および「コントラ」への資金提供に反対していた最中、『ワシントンタイムズ』紙で、「コントラ」に対し、1400万ドル(当時のレートで約35億円)を援助することを申し出る。
7月4日 模範囚と認められ、6か月の刑期短縮になり、ニューヨークのブルックリンのハーフウェイハウス(出所者の社会適応の施設)に移動。
8月15日「荒野40年路程」の終結を宣言する。

[編集] カナン定着のための七年路程

8月20日 刑期を終え、釈放されたその日の夜に開催された「神と自由のバンケット」で、「神のみ旨」と題して講演する。全米30以上の教派から2千名の牧師と聖職者が参加する。
9月 前妻(崔先吉)との間の息子である文聖進(ムン・ソンジン)を筑波大学(当時の総長は統一教会シンパ福田信之)が研究員として受け入れていたことが発覚し、問題となる。
12月11日 韓国で「文鮮明先生勝利帰国晩餐会」で講演。
12月16日 韓国で「国際勝共安保決意大会」で講演。
ベルベディア邸において、妻、韓鶴子と共に世界皇帝・世界皇后即位の秘密儀式を行う。12人の子供、嫁と婿が王子、王女のような衣装を着る。高い位置にある幹部だけが参加をゆるされる([4]、p190-p191)。
4月 四女の文恩進(ムン・ウンジン)と朴珍憲{パク・チンホン、36家庭・朴鐘九(パク・ジョング) 長男}を祝福する。36組の合同結婚式を行う。
4月12日 南平文氏大宗会(会員40万人)の宗長に推戴される。
10月11日 韓国で「全国大学教授学生南北統一運動連合会」を創設。
3月 三男の文顕進(ムン・ヒョンジン)と郭全淑{カク・チョンスク、側近の郭錠煥(カク・チョンファン)の娘}を祝福する。
5月15日 韓国で「南北統一国民連合」を創設。
5月31日~6月4日 韓国ソウルで行われた第一回「世界平和のための頂上会議」で講演。
アフリカのジンバブエのクレオパス。クンディオナ (当時26歳)に亡くなった次男、文興進(ムン・フンジン)が霊的に再臨したと公認し、幹部や信者らに罪の告白をさせるために1987年から1988年にかけて世界を巡回させる([4]、p192-p195)。
4月 長男の文孝進がニューヨーク市のオールド・ニューヨーカー・ホテルで自らの不品行(ドラッグ、飲酒、女性問題、自殺未遂等)を教会員の前で告白し、涙で懺悔する([4]、p74~76)。
4月8日 日本で「東西南北統一運動国民連合会」を創設。
この年、「日本赤軍」の菊村憂らがアメリカに派遣され、文鮮明の夏別荘を爆破して暗殺する計画があったが、天()の保護で未然に防がれたと教会内部では語られている[32]米国国務省は、菊村憂がパイプ爆弾3本を所持していたとして逮捕された事件は米軍に対するテロの準備であって、イタリアナポリにおいて、ナイトクラブ前に駐車していた自動車の爆破により、米軍人を含む5名が死亡した「日本赤軍」によるものと思われる作戦との同時攻撃を行なう計画であったとの見方を発表した)。
9月 ソウルオリンピックに、三男の文顕進(ムン・ヒョンジン)と4女の文恩進(ムン・ウンジン)が馬術競技に韓国代表として出場する。
10月3日 「世界統一国開天日」を宣布する。オリンピックを通して、北朝鮮キューバを除く共産国家が一つとなり、中国とソ連が「真の父母」(文鮮明夫妻)と一つとなったことで、世界統一国の実現への道が開かれたという。(2004年10月3日第17回 世界統一国開天日より、「天宙統一国開天日」に名称変更)
10月30日 韓国のソウルの龍仁市(ヨンイン)にある「一和」の工場で6500組の合同結婚式を行う。この時、「交差祝福」と言われる韓日、日韓のカップルを初め、国際カップルが多く誕生した。信者は渡韓の際に、封筒に50万円ほどの現金を持たされて運んだ。
1月 四男の文國進(ムン・クッチン)と劉順珠(ユ・スス)とを祝福する。72組の合同結婚式を行う。
2月 韓国で新聞社「世界日報 (韓国)」を創刊する。
6月23日 韓国の族譜会(プリチャッキ)連合会の総裁に就任。
8月31日 アラスカ州のコデイアックで「八定式」を宣布する。
9月1日 「天父主義」を宣布する。兄弟としての争いのある民主主義に代わる怨讐のない時代に入ったという。
2月1日~6日 古希(満七十歳)を祝う祝賀行事が、韓国の3561か所で行われる。
2月20日~25日 韓国の6か都市における「真のご父母様歓迎大会」で講演。
2月27日 ソウルの龍山区の漢南洞(ハンナムドン)公館で「天地父母宣布」を為す。初めて、自らが「真の父母」であることを発表する。
3月18日~31日 アメリカの5か都市における「真のご父母様歓迎大会」で講演。
4月11日 ゴルバチョフ大統領とソ連大統領執務室において30分間の会談を行う。彼の平和の計画をあらゆる形で助けると約束したという。「特別な贈り物」だとして、「霊感商法」で売られていたのと同様な龍の彫り物のある大理石ゴルバチョフに手渡す。
4月30日~5月22日 韓国の12箇所において、「モスクワ大会勝利と真の父母様歓迎大会」で講演する。
7月22日 長男の文孝進(ムン・ヒョウジン)が日本で、「統一教会全国学生一万人大会」を行う。
8月5日~翌年6月16日 日本の23か都市で「真の父母宣布大会」が開催される。
9月 信者に献身生活を辞め、それぞれの故郷に帰って活動する(還故郷)ように指示する。
8月27日 「世界平和宗教連合」を創設。人間における体の立場にある政治を心の立場にある宗教が主体となって導いてゆくという関係を作るべきだとされる。
8月28日 「世界平和連合」を創設。前述の体に当たる政治が神様を中心としたものとなるべきとされる。
9月16日~25日 韓鶴子が日本で巡回講演。
11月30日 側近の朴普煕、金孝律(キム・ヒョウリョル)特別補佐官らと共に、韓国政府の許可なく朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)「を電撃訪問。
故郷の定州(チョンジュ)を訪問し、48年ぶりに、姉、妹、兄嫁、兄の息子らの親族と再会。
12月2日 万寿台(マンスデ)議事堂で、尹基福(ユン・キボク)委員長、金達玄(キム・ダルヒョン)副総理一行と会談。
12月3日 金剛山の観光。
12月5日 故郷の定州の生家を訪問。両親の墓参り。
12月6日 咸鏡南道の興南(フンナム)のマジョン公館で、金日成(キム・イルソン)主席と会談。
離散家族再開に取り組むこと、核エネルギーは平和目的のみに利用し、国際核査察を受けること(1992年1月30日に北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の核査察協定に調印したが、1993年3月に核拡散防止条約(NPT)を脱退し、1994年3月には(IAEA)を脱退し、査察拒否を表明した。2005年2月には核兵器保有宣言をした)、 自由陣営国家からの投資を歓迎し、軍需産業を除外した経済事業に統一グループが参与すること、南北頂上会談を行うこと、金剛山開発の実地などについて合意。(1998年からは現代-起亜自動車グループが金剛山一帯を長期間独占開発・利用することで北朝鮮と合意した)

文鮮明は北朝鮮に対し、35億ドル(約4400億円)の支援を約束。30万坪の平和公園や教会建設、平和自動車設立、普通江(ポトンガン)ホテルの経営権移譲なども提案(韓国政府は一時、この無許可訪朝を国家保安法違反として逮捕の動きを見せたが方針を転換し、処罰しなかった)。
3月26日 特例措置で14年ぶりに日本に入国。アメリカで脱税により1年以上の実刑判決を受けているため出入国管理及び難民認定法第5条の規定では原則として終生日本に入国できないが、「北東アジアの平和を考える会」という国会議員の会合に出席する名目で法務大臣田原隆)から同法第12条の上陸特別許可が下りた(自民党金丸信副総裁の法務省に対する政治的圧力により入国させたと言われる)。。しかし、その会合は実際には行われず、滞在期間の大半は日本の統一教会(統一協会)幹部との会合や関連企業の視察(ハッピーワールド世界日報ワコム、信者への講和に費やされた。31日には金丸信中曽根康弘と会談。
3月27日 には国会の法務委員会で、4月8日には予算委員会で、今回の入国問題が取り上げられる[33][34]
4月10日 韓国で、妻の韓鶴子が総裁を務める女性運動のNGO、「世界平和女性連合」の創設大会が行われる。
4月15日 朝鮮民主主義人民共和国で行われた金日成主席生誕80年を記念するマスゲームの中で、愛国者八人の内の一人として讃えられる[1][30]
7月3日 自分が再臨主であることを世の中にはっきりとすべてを公開すると語る。
7月30日 文鮮明の亡くなった次男、文興進が再臨したと言われていたクンディオナと神吉秀明が東京第二弁護士会で記者会見、8月2日の千葉の幕張メッセの反統一教会の特別集会でも講演し、文鮮明の性的スキャンダルを告発。

[編集] 「メシア宣言」以降

8月24日 韓国のリトルエンジェルス芸術会館に於いて「わたしは真の父母・救世主・再臨主である」と公の場で初めて「メシア宣言」する[1]
8月25日 ソウルのオリンピックスタジアムで3万組の合同結婚式を執り行う。式の模様をマスコミが取材することが初めて許可された。
5月20日~8月 韓鶴子が米国44ヶ都市で「真の父母と成約時代」のテーマで講演。9月10日~30日には日本の27か所で、10月4日~31日には韓国の主要大学40校で、10月31日には韓国国会議事堂議員会館会議室で、11月2日から12月22日には世界39か国43か都市で、同様の講演。
7月28日 韓鶴子が米国議会ダークセン上院議員会館で、「神様、女性と真の家庭」のテーマで講演。。
9月7日 韓鶴子がニューヨーク市国際連合の第二会議場で、「神、女性、そして世界平和」のテーマで講演。
10月 草創期からの弟子である朴正華(パク・チョンファ)が『六マリアの悲劇―真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版)を出版。文鮮明が自らの教えを利用して、多くの女性信者と関係を持ったことを告発する内容。
10月8日 『週刊ポスト』に最初の妻、崔先吉(チェ・ソンギル)が文鮮明との離婚の真相を語った記事が出る。(大林高士「血分け」論争でさらなる重要証言に遭遇、25歳文鮮明教祖との見合い、「離婚を決意した真相」)[4]
日本を救うための16万人の日本人女性を教育しなければならないとして、韓国の水澤里中央修練所で直々に修練会を行い、士気を鼓舞させる。「救国基金」として1万ドル(約110万円)完納せよと日本の信者に要請する。「所有権返還」のために、信者に「貯金通帳を出しなさい!」と迫る。16万人の女性信者を参加させ、教育できるかどうかに、日本の救いがかかっているとされた。翌年の済州島での修練会と合わせても16万人の参加は困難だったので、数を埋め合わせる為に、同じ人が数回参加したことで、象徴的には勝利したとされた。参加した者には「救国献金」という1万ドル(約110万円)の献金が要請される(複数回参加した信者はその回数分の献金が要請された)。
1月 韓国の済洲島の修練所に日本の女性のメンバー 1600名が集められ、到着したその晩に、突然に、1600名の女性信者を160か国に派遣する命令を下す。後に派遣国はくじ引きで決められた。
統一教会(統一協会)の反対運動をしていた卓明煥(タン・ミョンファン)と自分の指示を無視して政党をつくろうとした人物が同年2月18日という同じ日に死んだ(卓は新興宗教団体の信者に殺害された)ことに言及し、統一教会(統一協会)に反対する者はみな、霊界に連れてゆかれると発言[35]
7月12日 金日成が死去した直後、北朝鮮政府から葬儀出席の招待状をもらい、北京の北朝鮮大使館に弔花を届ける。
7月13日 側近の朴普煕を北朝鮮へ派遣。
3月30日 「サンパウロ宣言」。これまでの基盤を南米に移し、理想国家のモデルを創ると語る。
4月3日 「ニューホープファーム宣言」ブラジルのマトグロッソドスル州のジャルジンを“新しいエデンの園”と宣言。
8月 長男、文孝進の妻、洪蘭淑(ホン・ナンスク)が夫の暴力と不品行に耐えかね、5人の子供を連れて、文家を脱出する。
8月8日 文鮮明の長男である文孝進と離婚した洪蘭淑が、アメリカCBSドキュメンタリー番組『60 Minutes』で文家の家族生活の不道徳性について訴えた。四女の文恩進(ムン・ウンジン)は「文鮮明は、唯私のお父さんだというだけです。それだけで十分な説明になります。」と父親のメシア性を暗に否定し、父親に 私生児がいると証言。ヨーロッパの元教団幹部の娘、ドナ・コリンズは「文師の教理と実生活があまりにも差があり、かけ離れているのを目撃したんですよ。」と語る。は同番組に「うちの息子の悲劇的な問題で惹起された蘭淑の苦痛を可哀そうに思う」とのコメントを送った。
8月25日 韓国における第二回「世界文化体育大典」において、36万組国際合同結婚式が行う。教義上、最重要な儀式である「聖酒式」を欠席する。忠母様(文鮮明の母)・大兄様(文鮮明の兄)・大母様(韓鶴子の母)の三家庭を霊人祝福。
9月14日~20日 妻の韓鶴子が日本で、「真なる家庭と私」というテーマで講演。10月6日~11月2日には韓国で講演。
10月21日~31日 韓国で、「真なる家庭と私」というテーマで講演。11月5日~12月7日には世界16か国で講演。
イギリスの内務省が公衆善を助長しないとして文鮮明の入国を禁止する[4]
4月16日 ワシントンで行われたワシントン・タイムズ財団創立会での「救援摂理史の原理観」と題する講演で、イエス・キリストは母マリアと親族である大祭司長のザカリヤによって、無原罪の神の息子として生まれたと語る。[5]
女性信者1600名を海外宣教師として南米等の160か国に派遣。この頃、ブラジルのジャルジンの1億坪の土地を購入し、「ニューホーム村」という集団村を建て、夫婦で参加する40日修練会を行った。
3月10日 韓国の清平(チョンピョン)において、「天城旺臨宮殿」の起工式を行う(一万名を収容できる建物だという)。
9月6日 六男の文栄進(ムン・ヨンジン)と七男の文享進(ムン・ヒョンジン)を祝福。
10月13日 「訓読会」を指示。全国的に祝福家庭は、6時から1時間の訓読会時間を持つように指示する。
11月29日 アメリカのワシントンD.C.のロバート・F・ケネディスタジアムでの第三回「世界文化体育大典」において、4千万組国際合同結婚式が行う。32億名の霊人祝福も行ったという。ホイットニー・ヒューストンがゲストとして予定されていたが、統一教会(統一協会)関連のイベントであることを知って、病気を理由に直前に出演をキャンセルしたと言われる。ジョージ・H・W・ブッシュ前大統領夫妻も欠席
12月 長男の文孝進が