ユダヤ人
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| 総人口 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1,300-1,400 万人[1] |
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| 居住地域 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 言語 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ユダヤ諸語 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 宗教 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ユダヤ教 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 関連する民族 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユダヤ人(ヘブライ語: יהודים, 英語: Jew)とは、ユダヤ教を信仰する者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親にもつ者(民族集団)という2つの捉え方がある。中世以前は前者の捉え方がなされていたが、19世紀の国民国家出現以降は差別する側からもされる側からも後者の捉え方が出現した。日本においてはほぼ一貫して「ユダヤ人」と呼称され「中東イスラエルに住む、ユダヤ教を信仰する民族」として認識されている。日本では信仰としてユダヤ教を信じる者は「ユダヤ教徒」と呼称され、「イスラエル国家を形成する民族ユダヤ人」とは別として認識・呼称される事が多い。しかし、イスラエルに起源を持ちヘブライ語を話していた血統的な民族集団が千年以上の流浪と混血の中で保持されていると考えること自体無理があり(ナチス出現直前の差別感情著しいドイツで7割近いユダヤ人がキリスト教徒と結婚しており、このような状態がほんの二、三百年続いただけで血統は消散してしまうのは自明である)、いわゆる「ユダヤ鼻」のような肉体的共通性なども単なる偏見の産物でしかないという調査もある。「民族としてのユダヤ人」という考え方は、「ユダヤ人だからドイツ人(あるいはロシア人、フランス人など)ではない」、あるいは「黒人(あるいはモンゴロイドなど)なのでユダヤ人ではない」といった差別につながりやすく、特にエチオピア系ユダヤ人の増加が摩擦を生みがちな現代においては要注意である。
古代イスラエル人またはユダヤ人の別称としてヘブライ人とも称されるが、楔形文字文書で特定の局外者集団を意味するハビルと関係するとも言われ原意は不明である。[要出典]ヘブライズムはキリスト教、ユダヤ教の思想の基幹を成し、ヨーロッパ思想の源流ともいえる。また現代、ヘブライ語を話す民族をさす場合、「ユダヤ人」よりヘブライ人と称するほうが好まれる。
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[編集] 定義
セム系文化に由来し旧約聖書の12氏族に代表される民族「ユダヤ人」と、現存しユダヤ教徒であることによって規定される「ユダヤ人」は同一ではない[要出典]。
「ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々」という定義は、古代・中世にはあてはまるが、近世以降では、キリスト教に改宗したユダヤ人(例えばフェリックス・メンデルスゾーンやグスタフ・マーラー)も無神論者のユダヤ人(例えばジークムント・フロイト)も一面では「ユダヤ人」と呼ばれるのが現実であり、特に19世紀以降の西欧では、民族を指す言葉と考えた方が良い、という人もいる。ハスカーラー、改革派などはドイツ人になろうとし、実際にそのようであった時代もある。
また、ヘブライ聖書の古い時代の「契約」には、異教徒・異民族との結婚を奨励しない思想もあった(実際の結婚生活がそうであったかどうかは別)。これは、共同体維持のためとも考えられる。しかし実際問題として、ナチス台頭直前のドイツにおいてユダヤ教徒の7割近くはキリスト教徒と結婚している。
一般的にナチスはユダヤ人を肌の色、容姿など人種的なものとして扱ってきたように思われているが、実際のナチスの法(ニュルンベルク法) による概念では人種ではなく宗教の属性による分別が行われている。
なお、現代イスラエル国家は「ユダヤ人」とは「ユダヤ教によって定義された集団」としている。移民手続や要件を定めた帰還法によれば、母親が「ユダヤ人」であるか、ユダヤ教に改宗した人のこととされる。一方、トーラーによると、ユダヤ人であるためには母親がユダヤ人でなければならない。イスラエル国内においては、主に女性のための改宗セミナーが行われており、数多くある戒律を学び試験を経て割礼あるいは沐浴をすることで移民法の適用を受ける「ユダヤ人」とみなされる。 結婚に関する手続が教会、ラビ裁判所やモスクなど宗教的機関に委ねられており、異教徒同士の結婚が難しい(海外において非宗教的手続で婚姻手続をとったカップルはイスラエルでも夫婦としてみなされる)。 正統派、超正統派は改宗者を「ユダヤ人」とは認めていない。[要出典]
[編集] 民族性
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11世紀の翻訳書
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歴史の中で他教徒から非常に多くの迫害を受けているが、現代に至るまでユダヤ人は滅ぶことはなかった。迫害は、当時のキリスト教やイスラム教が信仰の自由を許さなかったこと、イエス・キリストを殺害したのがユダヤ人とされていること[要出典]、ユダヤ人は昔から社会的に成功する場合が多いが国家を持たないため、その国の労働需要を奪ったことが原因ではないかと考えられている。18世紀頃から宗教的迫害が薄れていったことで、ユダヤ人は自由な信仰、活動が可能になり、今では多くの大企業の設立者や天才科学者にユダヤ人がいる(ロスチャイルド家、アルベルト・アインシュタイン、スティーヴン・スピルバーグなど)[10]。
ユダヤ人はタルムードと呼ばれる教典に従って行動する。タルムードはユダヤ人が迫害の歴史の中で学んだ教えが加えられ改良されているため、他の世界宗教とは多くの違いが見られる。例えば一般的な世界宗教では性行為は罪とされているが、ユダヤ教は性行為も恋愛も適度にするなら問題なく、それを抑圧することがむしろ問題だと考えている。労働は旧約聖書で原罪とされているため、キリスト教徒は労働を罪と考えるが、ユダヤ人は労働を神から命じられた神聖な行為と考えている。自らの宗教に対する布教に関しても、他の宗教を異教徒とし迫害するといった考えは持たない。また、何よりも学問を重視し、紀元70年にローマ軍によりイスラエルが一度滅びたときもラビ・ヨハナンが10人が入れる学校を残すことを交渉し、ローマ皇帝ティトゥスがこれを許したため、ユダヤ人は絶滅を免れた。今では最も知的な民族集団の一つと考えられており、一例では米国の大学院生の27%はユダヤ人である[11]。
主にポーランドを中心とした東欧に居住していたアシュケナジー(アシュケナジム)系ユダヤ人は、当該地域の在来住民との混血により、いわゆる白人の形質的特徴を有するにいたった。ドイツ語圏に住む彼らの多くはドイツ語を話し、ドイツ語圏外に住む彼らの多くはドイツ語の方言であるイディッシュ語を話していた。
政治家、農民など土地の保有と公的な職業に就くことを認められなかった。そのため職業は少しでも自分に有利な世論を作り出すために[要出典]商人やメディア関係が多い。そのためヨーロッパにおける第二次大戦の悲劇はユダヤ人迫害が非常にクローズアップされる傾向となっている[要出典]。 アルトゥル・ショーペンハウアーは『フランクフルトでユダヤ人の足を踏んだらモスクワからサンフランシスコまで情報が行き渡る』と非難していた。
オスマン・トルコ圏やスペイン・フランスなどに多く、イベリア半島出身者の末裔であるスファラディ(セファルディム)系ユダヤ人は、俗にアラブ人系であると言われ、ラディーノ語を話していた。
ほかにもイラン、インド(主に3集団)・中央アジア・グルジア・イエメン・モロッコなどを含んだ大きな観念であるミズラヒム、カライ派・カライム人、中国、ジンバブエなどのユダヤ人のほか、インド(ミゾ)・ウガンダ(アバユダヤ)・アメリカ黒人(ブラック・ジュー)などの新たな改宗者、イスラエル建国はメシア到来まで待つべきだとするサトマール派・ネトゥレイ・カルタ、キリスト教関連のメシアニック・ジュダイズム、ネオ・ジュダイズムなど多くの分派もある。エチオピア・ベルベルのユダヤ人は孤立して発展し、タルムードを持たない。
現在世界に散らばるユダヤ人は、全てがユダヤ教徒というわけではないが、ユダヤ人にとってユダヤ教は切り離せない宗教である。写真はユダヤ人の言語(ヘブライ語)から各国語に翻訳された聖書の一部である。また彼らは伝統的な特徴のある民族衣装も持つとも言われる[要出典](→ユダヤ教徒の衣装)。
[編集] 世界のユダヤ民や宗教的集団
世界に散らばるユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下がある。
- イシューブ(イスラエル(パレスチナ)の地のユダヤ教徒)
- ミズラヒム
- 北アフリカのユダヤ人(マグレビーム) Maghrebim cf.African Jews
- モロッコのユダヤ人
- アルジェリアのユダヤ人
- フランス植民地統治下のアルジェリアでは、原住民のイスラム教徒が参政権を持たない下級市民とされたのに対し、ユダヤ教徒(セファルディム、ミズラヒム)に対してはフランスの完全市民権が付与された。このため、ユダヤ教徒はフランス本国からの入植者(コロン)と同化し、フランス語を母語とするようになり、自らをヨーロッパ人と考えるようになった。このため、アルジェリアの独立時には多くのユダヤ教徒がフランス人としてコロンとともにフランス本国に引き揚げコロンとひとまとめに「ピエ・ノワール」と呼ばれるようになった。ただし、独立以前にもフランス内地へ移住するユダヤ教徒がいなかったわけではない。これらの人々の中からはフランスで著名な歌手・俳優なども多く輩出されている。(クロード・ルルーシュ、エンリコ・マシアス(セファルディム)など)。
- チュニジアのユダヤ人 Jews in Tunisia
- ペルシア・ユダヤ人
- イエメン・ユダヤ人(テイメン) Yemenite Jews
- ベタ・イスラエル(ファラシャ)(エチオピアのユダヤ人)
- 北アフリカのユダヤ人(マグレビーム) Maghrebim cf.African Jews
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- 山岳ユダヤ人(タート・ユダヤ人。ダゲスタン、アゼルバイジャン、アルメニアのタート人社会の内部)
- グルジーム
- ブハラ・ユダヤ人 Bukharan Jews (タジキスタンから中央アジア全土)
- インドと周辺のユダヤ人 Jews in India
- 中国のユダヤ人 Jews in China
- 開封市のユダヤ教徒 Kaifeng Jews [1]
- ヘレニスト
- イタリアのユダヤ教徒 History of the Jews in Italy (北部にはアシュケナジムが多い)
- ツァルファーティー(フランス系ユダヤ教徒) History of the Jews in France 消滅した世代と残留者、新しい世代(諸地域・諸国からの移民)
- セファルディム
- アシュケナジム
- アイルランドのユダヤ人 Jews in Ireland (ツァルファーティー・セファルディムとアシュケナジム)
- アバユダヤ Abayudaya
- レンバ族(ジンバブエ) Lembas
- サマリア人
- ブラック・ジュー
- ハザールのユダヤ人
- ユダヤ=キリスト教徒 Judeo-Christians
(英語版 Jews by country List of Jews from the Arab Worldも参照)
(エジプト、メソポタミア、モロッコ、トルコ、ペルシアなどのコミュニティーに関しては英語版Islam and Judaismも参照)
[編集] 歴史
[編集] 古代
紀元前13世紀頃、ヘブライの地から古代エジプトに奴隷として連れ去られる。(ヘブライの地に住んでいた多くの農耕ユダヤ人(ヘブライ人というべきか)は古代イスラエルに残ることができ、イスラム教やキリスト教に改宗して現在のパレスチナ人などになったとする説も強い) それから約200年後に古代ユダヤ人の一人モーセが中心となり約60万人の人々がエジプトから脱出に挑戦し成功する。それから約40年もかけて古代イスラエル王国のところに辿り着く。
紀元前10世紀頃、古代ユダヤ人はユダヤ教を国教とする古代イスラエル王国をパレスチナに建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ、ユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くのユダヤ人が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。その後、アケメネス朝ペルシア、マケドニア、セレウコス朝シリアなどの支配下に置かれ、一時期独立を回復するものの古代ローマの属州とされる。紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されパレスチナから追放された。以来2000年近く確固たる民族(宗教)国家を持たず、ほとんどの国民がヨーロッパを中心に世界各国へ散らばった。以降ユダヤ教徒としての各地への定着が進む。
[編集] 中世
ヨーロッパ各地に散った後もユダヤ人はユダヤ教の信仰を堅持したため、キリスト教徒から差別的な扱いを受け、土地の所有や職人(ギルド)への弟子入りが許されなかったが、才覚があったためキリスト教で禁止されていた金融業や商業などを発達させた。(ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』に登場する金貸し、シャイロックもユダヤ人である。) 13世紀になってキリスト教徒とユダヤ教徒との交際が禁止されるなど、ユダヤ人は迫害を受けるようになり、社会不安が高まるごとにユダヤ人は迫害の対象とされていき、公職追放なども行われた。 その後、特に14世紀のペスト大流行の頃からユダヤ人に対する弾圧として、ヨーロッパ中で隔離政策が取られるようになっていき、教会から離れた場所に設けられたゲットーとよばれる居住区に強制隔離されることが一般化した。
7世紀~10世紀にカスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教とした。
[編集] 近代
19世紀後半に入ると古代に祖先が暮らしていたイスラエルの地に帰還してユダヤ人国家を作ろうとする運動(シオニズム運動)が起きた。この運動は第二次世界大戦時のホロコーストをきっかけに盛んになり、後のイスラエル国家建設に繋がっていくことになる。
「ユダヤ人」は世界に離散後もそのほとんどがユダヤ教徒であり(キリスト教やイスラムに改宗した途端、現地の「民族」に「同化」してしまう)、ユダヤ教の宗教的聖地のひとつであるイスラエルの地に帰還することもその理由の一つである。
イスラエル建国以前はイスラム教徒とユダヤ教徒は共存しており信教の自由も存在していた。 また、シオニズム運動によって入植したユダヤ人が古代ユダヤ人の子孫であるのかは疑問視されており、アラブ諸国では彼らはハザール人の子孫であり古代ユダヤ人とは無関係であると信じられている。
[編集] 年表
[編集] 反ユダヤ主義ユダヤ人の歴史の要素の一面として、時には迫害・襲撃・追放をも含んだ反ユダヤ主義ということが言われるが、これはあくまで極一面であって、ディアスポラの地で2000年、地域によっては1000年以上の隣人として共存・共発展してきた面もあり、たとえばキリスト教では親ユダヤの宗派も多く存在する。宗教弾圧を受けた面もあれば、セム的一神教・アブラハムの宗教の本流としての「啓典の民 People of the Book, Ahl al-Kitab」、「聖なる民 ‘am Qodeš(マルティン・ブーバーは「聖にする民」と訳している。cf.レビ記11:45)」としての面もある。イスラム世界においては、キリスト教国に比べて比較的穏健な取り扱いを受けた。[要出典]
[編集] ホロコースト後のシオニズムの問題離散していたユダヤ人はイスラエルを建国する。パレスチナ分割案など連合国家案などが出されたが、アラブ人もユダヤ人も譲ることなく第一次中東戦争が始まった。反イスラエル・ブロックを形成したパレスチナとアラブ諸国は、「イスラエルは一方的に独立宣言をし、国連の分割決議で定められた領土を超えて占領し、アラブ人がイスラエル占領地から追い出され、多くのパレスチナ難民が発生している」と世界中に訴えている。 [編集] 博物館ユダヤ博物館がある都市・・・ロンドン、ベルリン、フランクフルト、ウィーン、ビリニュス、プラハ [編集] 文化遺産ユダヤ人関連の文化遺産として以下がある。 [編集] 出典
[編集] 関連書籍[編集] 初歩的入門書・紹介書
[編集] ユダヤ教
[編集] アシュケナジム社会
[編集] ユダヤ人の精神・生活関連[編集] イディッシュ文学
[編集] ドイツ文学
[編集] アメリカ文学、アメリカの出版物
[編集] 哲学関連
[編集] 教養関連
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