ジェフリー・オブ・モンマス - Wikipedia

ジェフリー・オブ・モンマス

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自分の預言を読み聞かせるマーリン。ジェフリー・オブ・モンマス『マーリンの預言』より

ジェフリー・オブ・モンマスGeoffrey of Monmouth , ウェールズ語表記:Gruffudd ap Arthur または Sieffre o Fynwy , 1100年頃 - 1155年頃)は、イングランドの聖職者。中世イングランド史家の一人で、アーサー王伝説で知られる。彼の作品のほとんどは歴史を題材としたロマンチックなフィクションである。

目次

[編集] 生涯

ジェフリーの出生地は不明である。しかし、彼はウェールズモンマスで、ブリトン人の子孫として生まれたとされている。彼の名前から推測するに、彼がモンマスとつながりがあったことは間違いがない。『ブリタニア列王伝』(Historia Regum Britanniae)文中でCaerleon(現在ウェールズの村)の記述を、熟知しているよう示唆しているのである。彼はオックスフォード大学で学び、そこで助祭のウォルター・オブ・オックスフォードと出会った。1152年2月21日、カンタベリー大司教テオバルドは、10日前に聖職を授けたジェフリーに、セント・アサフ司教として叙階した。『彼がかつて訪れて、その目で見たという証拠は何もない。』と、文献学者ルイス・ソープは述べている。『実際は、オーウェン・グウィネズの戦いが、ほとんどありそうにもないこの話をつくったのだろう。』 [1] ジェフリーは、1129年から1151年までの間に6つの別々の特許状があることから実在が証明されている。彼の没年は、ウェールズの年代記に記載がされている。

[編集] 著作

ジェフリーは興味深い著作を書いた。最も古いものの一つは『マーリンの預言』(Prophetiae Merlini)で、1135年以前に彼が数カ所書いたとされている。ジェフリーは、初期の頃のマーリンの仕事だとして黙示叙述のシリーズを著している。ちなみにマーリンは、ジェフリーの著作が出るまでは"Myrddin"の名前で知られていた。[2] ウェールズ語以外の言語でこの伝説的預言について著された本は、これが初めてであった。数世紀後に出たノストラダムスの大予言と同様に、広く読まれ、そして事実だと信じられた。

次に現代の読者に最もよく知られる『ブリタニア王列伝』である。ブリテン史を物語っていると主張されているもので、トロイの英雄アエネアス の子孫、トロイのブルータスによる最初の移住から、7世紀のグウィネズ王Cadwalladerの死、ユリウス・カエサルのブリテン島侵攻、リア王(後世にウィリアム・シェイクスピアの戯曲によって不朽の名前となる)とCymbeline王、そして最も初期に記載された物の一つであるアーサー王の話が綴られる。文中、彼は多くのブリテン王たちの立身出世と凋落の概要を述べ、その中にアーサー王と彼の父親ウーゼルの記載がある。ジェフリーはウェールズ語で書かれた古い文献から翻訳したと主張している。この主張の一部は真剣である。元になっているのは9世紀のウェールズ=ラテン史編纂書ヒストリア・ブリトヌム、ベーダ・ヴェネラビリスのイングランド教会史、ギルダスの6世紀の論争De Excidio Britanniaeなどが元となり、ウェールズ伝説、系図の跡、ジェフリー自身の想像力から資料を得て拡大された。[3] わずかに信じられた歴史的事実が含まれている。多くの学者らは、1190年頃書かれた歴史家ウィリアム・オブ・ニューバラの、「アーサー王と彼の後継者らについてこの男が書いた全ては、全く明白である。また、先に、5世紀の戦士ヴォーティガーンから彼の先祖が出たというのははっきりしている。一部はモンマス自身が、その他は他者によって創作された、両方とも偽りの法外な愛情から、またはブリトン人を喜ばせる目的のため。」という一致にひきつけられた。[4] その上、彼が構想を練り作り直したマーリンとアーサー王の神話は、それら人物の認識にかつてない巨大な影響を及ぼした。彼がアーサー王伝説の規範の、最大の貢献者とみなされるようになった。:[5]

後に、ジェフリーは『マーリンの生涯』を、1149年から1151年の間に数カ所で書いた。これはウェールズの伝説から初期のMyrddin伝説の語り直しを自身がしたものである。六歩格詩の叙事詩である。彼の作品は、全て中世ヨーロッパの共通語であったラテン語で書かれた。

彼の同時代の人々は全てがジェフリーの歴史によって確信したのではない。例えば、ウェールズのジェラルドは、悪魔により所有されていた男の経験を詳述した。「あるとき邪悪な魂が彼をあまりにさいなめたら、ヨハネの福音書が彼の胸部にあり、鳥のように彼らはたちまち消え失せた。しかし、本が取り除かれると、ジェフリー・アーサーの書いたブリトン人の歴史書がその場所に代わりにあり、悪霊らは瞬く間に大勢で押し寄せ、常以上に長くその男の体と本の上に居続けた。」[6]

[編集] 参照

  1. ^ ソープによる翻訳に付された序文より。The History of the Kings of Britain (London: Penguin Books, 1966), p. 12.
  2. ^ ウェールズの学者レイチェル・ブロムウィッチ(Rachel Bromwich)は、「dd>lへの変化」は奇妙なことだと言っている。ガストン・パリスは、フランス語merdeとの好ましくない関連の結果である、と説明した。(Bromwich, Trioedd Ynys Prydein: The Welsh Triads, second edition [Cardiff: University of Wales, 1978], p. 472 n.1.)
  3. ^ Thorpe, Kings of Britain pp. 14-19.
  4. ^ ソープによる引用, Kings of Britain, p. 17.
  5. ^ Thorpe, Kings of Britain, p. 20ff., 特にpp. 20–22 & 28–31.
  6. ^ Gerald of Wales, The Journey through Wales/The Description of Wales (Lewis Thorpe ed.), Penguin, 1978, Chapter 5, p 116.

[編集] 参考文献

  • Geoffrey of Monmouth. The History of the Kings of Britain. Translated, with introduction and index, by Lewis Thorpe. Penguin Books: London, 1966. ISBN 0-14-044170-0
  • John Jay Parry and Robert Caldwell. "Geoffrey of Monmouth" in Arthurian Literature in the Middle Ages, Roger S. Loomis (ed.). Clarendon Press: Oxford University. 1959. ISBN 0-19-811588-1
  • N. J. Higham. King Arthur: Myth-making and History, London and New York, Routledge, 2002, ISBN 0415213053
  • John Morris. The Age of Arthur: A History of the British Isles from 350 to 650. Barnes & Noble Books: New York. 1996 (originally 1973). ISBN 1-84212-477-3
  • Brynley F. Roberts. "Geoffrey of Monmouth, Historia Regnum Britanniae and Brut y Brenhinedd" in The Arthur of the Welsh: The Arthurian Legend in Medieval Welsh Literature, Cardiff, University of Wales Press, 1991, ISBN 0708313078

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[編集] 外部リンク

ウィキソース
ウィキソースGeoffrey of Monmouthの原文があります。

[編集] ウェブ上で入手できる英語翻訳版


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