アメリカ合衆国
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アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、英:United States of America)、通称アメリカまたは米国(べいこく)は、北アメリカ大陸および北太平洋に位置する連邦共和国。
- アメリカ合衆国
- United States of America
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(国旗) (国章 (表)) - 国の標語 : E pluribus unum (1776年 - 現在)
(ラテン語: 多数から1つへ)
In God We Trust (1956年 - 現在)
(英語: 我ら神を信ず) - 国歌 : 星条旗

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公用語 無し(州単位では27州が英語のみを、3州が英語に加えて別の言語を公用語に定めている。) 首都 ワシントンD.C. 最大の都市 ニューヨーク 独立
- 宣言
- 承認イギリスより
1776年7月4日
1783年9月3日通貨 USドル ($)(USD) 時間帯 UTC -5 から -11(DST: -4 から -9 または 無し) ccTLD US .EDU .GOV .MIL .UM 国際電話番号 1 - 注: この表のデータは、50州とワシントンD.C.のみで、属領を含まない。
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[編集] 概要
1776年に独立した世界史的に見て比較的新しい人造国家(非自然発生的国家)の1つである。すなわち、独立宣言において全ての人民の権利と平等をうたい政府をその保障手段と明確に位置づける等、奴隷制のような矛盾を抱えつつも単一民族を基盤とする国家ではなくロックらの人権思想を理念的基盤として歩んできた国家である。少数のネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民以外のほとんどの国民が、主にユーラシア大陸からの移民もしくはアフリカ大陸から奴隷貿易によって強制連行された者の子孫である。このため、その母体になった国々や、その他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わせ持っている。資本主義、民主主義、共和制、大統領制、二院制を採用している連邦国家の1つである。
国土としては、北アメリカ大陸中央部の大西洋と太平洋に挟まれた本土以外に、大陸北部のアラスカ、太平洋のハワイ諸島、アリューシャン列島を有する。さらに本国の他に、プエルトリコやグアム島などを領有する。北はカナダ、南はメキシコと隣接、西は海上にてロシアと接する。50州、1特別区(連邦政府直轄地)からなる。その領土の大半は先住民や他国から搾取あるいは奪い取ったもの(一部、売買で編入した国土(例えばアラスカ州)、戦争で併合した国土(例えばニューメキシコ州)、他国を併合した国土(例えばハワイ州))である。
[編集] 国名
正式名称は、United States of America。 通称は、United States、略称は、U.S. または USA。口語ではAmerica または The States と呼ぶ場合もある。
日本での正式名称は、アメリカ合衆国。通称は、アメリカとなっている。
幕末や明治初期にはアメリケン(メリケン)と呼ばれた。"American" の発音がそのように聞こえたためと考えられる[1]。このため、メリケンの漢字表記「米利堅」の最初の一文字を取って米国と略称され始める。ただし、日本語でのより一般的な漢字表記は亜米利加であり、これが由来だとする説もある。中国語では「美国」と表記される。「美国」より以前には「花旗国」と呼ばれていた。これはアメリカの国旗(星条旗)を見た中国人が、そのデザインを気に入り「花のように美しい旗の国」と表現したためである。たとえば1902年に上海に支店を出したシティバンクは花旗銀行と呼ばれている。[2]。
国名の America は、アメリカ大陸の名、すなわち、イタリア人の探検家アメリゴ・ヴェスプッチのラテン語名から付けられた。その詳細については、アメリカ州を参照のこと。日本語の「合衆国」という表記の由来や意味については、合衆国を参照のこと。「アメリカ合衆国」の代わりに、より正確な訳であるとして「アメリカ合州国」を使用する人たちもいる。
なお、中南米ではアメリカという語はラテンアメリカまたは南米を指し、逆にアメリカ合衆国を明示的に北アメリカ(América del NorteまたはNorteamérica)あるいは合衆国(Estados Unidos de AméricaまたはEEUU)と呼ぶ場合がある。特に、過去にアメリカ合衆国の介入によって軍事クーデターが起こされたり、傀儡政権による統制が行われた歴史を持つ国々(パナマ、キューバ、ニカラグア、チリなど)では、アメリカ合衆国を単にアメリカとだけ呼ぶことに抵抗感を示される場合があるので注意が必要である。
[編集] 歴史
詳細はアメリカ合衆国の歴史を参照
[編集] 新大陸の発見
イタリア(ジェノヴァ)人のクリストファー・コロンブスはスペイン女王イサベル1世の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国の発見を志したが、1492年に現在の西インド諸島にたどり着いた。 その後、イタリア人のジョン・カボットが北アメリカ大陸の東海岸を探検し、イギリスがニューイングランド植民地の領有を宣言した。その後フランス人のジャック・カルティエがセントローレンス川を遡り、その一帯をフランスが領有化(ヌーベルフランス植民地)するなど、ヨーロッパ人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、そして先住民の放逐と虐殺がはじまった。彼らは「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」をスローガンに奥地への開拓を進め、例え貧民でも自らの労働で土地を得て豊かな暮らしを手に出来るという文化を形成して「自由と民主主義」理念が米国の基礎となる源流を形作っていった。またその成功が誇張も含めて旧大陸に伝わり、さらに各地からの移民を誘発する事ともなった。それは同時に先住民であるネイティブ・アメリカンを虐殺、追放して彼らの土地を奪っていったことも伴っている。[5]
[編集] アメリカ独立
北米大陸がヨーロッパ諸国の植民地支配を受ける中、イギリス本国と植民地13州との間で対立が生じて1775年にアメリカ独立戦争が勃発する。1776年に13植民地は独立宣言を発表し、1778年に連合規約を締結。1783年にパリ条約が結ばれ、アメリカ合衆国としてイギリス本国からの正式な独立を達成。独立13州に加えてミシシッピ川以東と五大湖以南をイギリスから割譲した。
1787年9月17日には、連合規約に代えてさらに中央集権的な合衆国憲法が激論の末に制定される。1789年3月4日に発効され、同年にジョージ・ワシントンが初代アメリカ合衆国大統領に就任する。
アメリカは、自由と民主主義を掲げたことから、当時としては珍しい民主主義国家であった。しかし、アフリカ大陸から連れてこられた黒人奴隷の権利は、ほとんど保障されず、白人至上主義が南部を中心に浸透していた。結果、奴隷制度と人種差別が独立後のアメリカにも根付くことになり、1860年代の南北戦争の引き金にもなっていく。
[編集] 西部開拓と南北戦争
未開の地であった西部の勢力拡大を目指し、1803年のフランス領ルイジアナ買収を切っ掛けに西部開拓時代が始まった。しかし、先住民とイギリスが西部開拓を阻んだため、1812年に米英戦争が勃発するも1814年にガン条約を締結して事態は収拾し、西部進出を進めていった。1819年のスペイン領フロリダ買収、1836年のメヒコ領テハスでのテキサス共和国樹立とアメリカへの併合、メキシコとの米墨戦争後の領土割譲などにより、太平洋岸まで領土は達した。現在のアメリカ合衆国本土と呼ばれる48州のエリアを確立したのである。
また、この頃から太平洋にも進出を始め、捕鯨が盛んになっていた。鎖国状態の日本を食料と燃料調達の基地するために米軍艦を派遣。日米和親条約と日米修好通商条約を締結し、開国させた。以後、アジア外交にも力を入れるようになっていく。
1861年、奴隷制廃止に異を唱えるアメリカ南部連合との間で南北戦争が勃発し、国家分裂の危機を向かえた。これを受けて1862年にエイブラハム・リンカーン大統領によって奴隷解放宣言が発表され、1865年に南北戦争は合衆国の勝利で終結した。だが、法の上でのアフリカ系アメリカ人や先住民など、その他の少数民族に対する人種差別はその後も100年以上に渡り続くことになり、奴隷解放の父と呼ばれたリンカーン自身も戦争終結後に暗殺されてしまう。
しかし、戦争中に鉄道網や鉄鋼業が発達したことにより、後にアメリカが黄金時代を向かえる基礎を築いた。
[編集] 海外進出と世界恐慌
南北戦争後も諸外国との戦争、アラスカをロシアからの買収するなど、新しい州と海外領土を合衆国の統治下に加えていった。
1898年にはハワイ王国を軍事的恫喝にて併合。同年、スペインとの米西戦争に勝利してグアム、フィリピン、プエルトリコを植民地に、キューバを保護国に指定した。その後1914年にヨーロッパで勃発した第一次世界大戦のさいにイギリスやフランス、日本などの列強諸国とともに連合国側として参戦し、さらに戦時中にハイチ、ドミニカ共和国に出兵して軍政を敷いた。
戦後はウッドロウ・ウィルソン大統領の主導によって国際連盟設立に大きな役目を担ったが、モンロー主義を唱えてラテンアメリカに対する支配権を維持しようとする上院の反対により連盟への加盟はしなかった。しかし、他の戦勝国とともに5大国の一員として注目されることになる。
続く1920年代には都市部でバブル経済に基づく空前の繁栄「轟く20年代」(Roaring Twenties)が起こるが、1929年10月29日ウォール街・ニューヨーク証券取引所で起った株の大暴落「ブラック・チューズデー」がきっかけとなり、1939年まで続く世界恐慌が始まった。この世界恐慌によってドイツ、イタリア、日本などで軍国主義やファシズムが台頭する大きなきっかけとなっただけでなく、アメリカ国内においても労働者や失業者による暴動が頻発するなど大きな社会的不安を招いた。
[編集] 第二次世界大戦
1939年9月にヨーロッパにおいて開戦した第二次世界大戦においては、1941年12月の大日本帝国(現在の日本)による真珠湾攻撃の後に、イギリスやソビエト連邦、中華民国やオーストラリアなどが中心となって構成された連合国の一員として参戦した。しかし主な戦場から本土の距離が離れていたために、日本海軍機によるアメリカ本土空襲などの、数回に渡る日本海軍による西海岸への攻撃以外には本土に被害を受けることなく、事実上の連合諸国への軍事物資の供給工場として機能し、併せて日本やドイツなどの枢軸国との戦闘でも大きな役割を果たした。
1945年8月には、イタリアやドイツなど枢軸国からの亡命科学者の協力を得て完成させた原子爆弾を世界で初めて実戦に使用し、日本の広島と長崎に投下した。ドイツ、イタリアに続いて8月15日には日本も降伏。第二次世界大戦は、事実上の終戦となった。しかし、大戦中に行なった日系アメリカ人に対する、いわゆる日系人の強制収容などの非人道的な措置が行なわれ、問題となった。
連合国の戦勝国の1国となった上に、主な戦場から本土が離れていたことから国土に殆ど被害を受けなかった。以後、世界最強の経済力と軍事力を保持する超大国として、「自由と民主主義」の理念を目的もしくは大義名分として冷戦期及びそれ以後の外交をリードする事になる。
[編集] ソ連との冷戦へ
第二次大戦後、すぐに始まった冷戦による共産主義への脅威を受けて、一時ジョセフ・マッカーシー上院議員らに主導された赤狩り旋風(マッカーシズム)が巻き起きた。
冷戦においては、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営に対抗する資本主義陣営の盟主として、西ヨーロッパ諸国や日本などに経済支援や軍事同盟締結などで支援し、朝鮮戦争、ベトナム戦争、グレナダ侵攻など世界各地の紛争に積極的に介入する。核兵器の製造競争などもあり、ジョン・F・ケネディ大統領の時にソ連との間でキューバ危機が起こるなど、核戦争の危機も度々発生した。
それは一般に「自由と民主主義の保護」を理念として掲げていたが、単純な国益追求が実質的な目的であった。場合によっては実際の実力行使が理念と矛盾する事態すら引き起こし、特にベトナム戦争への介入は西側、東側諸国を問わず世界的に大きな非難を呼び、あわせて国内世論の分裂を招いた。また、「反共産主義的」であるという理由だけで、アジアやラテンアメリカ諸国をはじめとする世界各国の右派軍事独裁政府を支援したり、特にラテンアメリカ諸国の軍人に対してはパナマの米州学校で「死の部隊」の訓練を行なったりもした。こうして育てられた各国の軍人は母国で右派クーデターを起こし(アルゼンチンでフォークランド戦争を起こしたガルティエリ将軍など)、それらの国の国民に対して政治的不安定と貧困を与える結果となった。
同時に、大戦の後遺症に苦しむ西欧諸国や日本、韓国、台湾など同盟国への支援と安全保障の提供は、急速な経済成長をもたらす一因ともなって東側との大きな生活水準格差をうみだした。これは後の東欧革命の原動力の一つになったといえよう。また、長引く冷戦時代を通して軍部と軍需産業を中心とした経済界が結びつき「軍産複合体」を形成し、アメリカの政治、経済、軍事政策に深く関わる構図も生まれた。アメリカの、戦争を止められない、こうした性質を揶揄して「戦争中毒」と呼ぶ論調も存在する。
[編集] 人種差別と公民権運動
「自由と民主主義の橋頭堡」を自称するものの、1862年の奴隷解放宣言以降、第二次世界大戦後に至っても法の上での白人種による人種差別が認められており、1960年代にはこの様な状態に抗議するアフリカ系アメリカ人を中心に、法の上での差別撤廃を訴える公民権運動が行なわれた。これらの運動の結果、1964年7月にリンドン・ジョンソン大統領の下で公民権法(人種・宗教・性・出身国による差別禁止)が制定された。
しかしその後も差別撤廃のための法的制度の整備は進んだものの、現在に至るまで先住民やユダヤ系移民、非白人系移民とその子孫(アフリカ系、ヒスパニック、日系など)などの少数民族に対する人種差別問題は実態としては解消していない。それは就職の際の格差等から、警察官が人種を理由にアンフェアな扱いをしたといった問題としてロス暴動のような大きな事件の原因となる事すらある。アフリカ人への奴隷貿易や先住民虐殺については、連邦政府としては未だ謝罪はしていない。
[編集] 貿易赤字と世界の警察
1965年から1975年の10年に渡り行われたベトナム戦争における事実上の敗退前後には、深刻な麻薬汚染とそれがもたらした治安の悪化に悩ませられるようになった。また、石油ショック以降の原油の値上がりによって基幹産業の1つである自動車産業などが大きな影響を受け、1970年代以降は日本などの先進工業国との貿易赤字に悩ませられることとなる。
特に1980年代に入ると、日本との貿易摩擦が表面化し日本製品をホワイトハウス前で議員がハンマーで叩き壊すという現象(ジャパンバッシング)も生まれた。近年は、中華人民共和国に対する貿易赤字が膨張している他、インドなどへの技能職の流出が問題となっている。
1990年代以降、ソ連崩壊によって冷戦構造が終結すると名実共に唯一の『超大国』、『覇権主義国家』となり、「世界の警察」を自認した。その後も日本、韓国、サウジアラビア、ドイツなど国外の戦略的に重要な地域に多くの米軍基地を維持し続け、パナマ侵攻、湾岸戦争など各国の紛争や戦争に積極的に介入した。特に中東地域においては、ユダヤ系アメリカ人、イスラエル系ロビイストの影響力により露骨にイスラエル寄りの姿勢を保ち、中東のアラブ系、イスラム系国家の国民から多くの反米感情を買うことになった。
また、経済のグローバル化に伴い冷戦時代に軍事用として開発されたインターネット・ITが民間に開放され爆発的に流行した。1992年からの民主党政権下ではITバブルと呼ばれる程の空前の好景気を謳歌した。
[編集] テロ支援国家
一般に、テロ支援国家と言えばアメリカ国務省により発表されている「Patterns of Global Terrorism」に記されている、北朝鮮、シリア、スーダンなどの国家を指すが、実はアメリカ自身も積極的にテロリストを支援している国家と言われる。アメリカによるテロ支援は、主にCIAにより秘密裏に実施されていると言われ、実際にCIAによりテロ活動の教育を受けたと言う報告もある。なお、アメリカ政府は自身が支援している武装集団に対しては「テロリスト」と呼ばず、「自由の戦士」などと呼ぶ[要出典]。
冷戦時代のアメリカはラオス、アフガニスタン、キューバ、ニカラグアなどで主に反共闘争を行う軍事組織に対しての直接的または間接的な支援を実施していた。特にニカラグア内戦でのコントラ支援は有名であり、イラン・コントラ事件という汚名を残すことになった。皮肉にも、アフガニスタンで米国が支援していたムジャーヒディーンの一つが、後にアメリカ政府にとっての最大の脅威となるテロ集団アルカーイダである。冷戦終結後もアメリカの経済的な利益を目的としてフィリピン、パナマ、ハイチ、ベネズエラ(2002年)などで、反米政権に対するクーデターの支援などが行われたと言われる。
また、アメリカは「世界最大の武器商人」と呼ばれ世界の紛争地域において、死の商人などを経由してテロリストへの武器供与などの間接的なテロ支援を行っているという指摘がある。事実、世界の紛争地域で使用されている突撃銃の中にはアメリカ製であるM16が見られることもある。
[編集] 9.11とアメリカ
21世紀になったばかりの2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件を境にして、アメリカのみならず世界の情勢は劇的に変化した。各国間の関係にも大きな変化がおこるきっかけとなり、ブッシュ政権はイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」「テロ支援国家」と名指しで非難し「テロとの戦い」を宣言する。2001年10月、ブッシュ政権は同時多発テロを引き起こしたとされるアルカーイダをかくまったタリバン政権を攻撃するためアフガニスタン侵攻を開始した。その後、イラクをテロの支援国とみなし、2003年3月イラク戦争に踏み切ったが大量破壊兵器の破壊ではなく「石油を狙った侵略行為にすぎない」と批判する声が多くあったが、現在も“アメリカの死活的利益擁護のためには武力行使を含むあらゆる手段を選択する”と宣言している。
2001年9月のテロ後に制定された米国愛国者法をきっかけにアメリカは、警察国家の様な傾向が強まりつつあると言われている。2005年からは、テロ対策を目的に連邦情報機関が大統領令に基づき具体的な法令的根拠・令状なしに、国内での盗聴・検閲等の監視を行えるようになっている。これが民主主義や報道の自由に違反するとして批判の声もあがっている。
[編集] 一極支配の弱まり
ブッシュ政権発足後、国際連合の意向の無視など、同時多発テロからイラク戦争に至るまでの強引な姿勢は、世界中で反米感情を引き起こす要因となっており、2008年の時点ではアメリカの同盟国・友好国であるドイツやフランス、スペインなどですら、同時点でのアメリカを好意的に捉えている国民は全体の3割程度にとどまっているという調査結果も出ている。アメリカ国民にも同様の傾向がみられ、アメリカのメディアが行った世論調査によると、アメリカ国民の78%が「2008年時点でアメリカは誤った方向に進んでいる」と答えている。2006年秋の中間選挙での民主党の大勝や、イラクやアフガニスタンでの泥沼化を引き起こしたことにより、ブッシュ政権はこれまでの強硬姿勢を転換せざるを得なくなり、北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除するなど、現在の世界におけるアメリカの影響力は冷戦終結直後に比べ弱くなっている。
また新興国と呼ばれているBRICS4国の台頭やサブプライムローン問題に端を発した世界金融危機によるアメリカ経済の停滞などにより、ソ連崩壊直後から続いてきた一極的なパクス・アメリカーナの理念は限界を迎えているとの見方もある。これに加え、大多数のアメリカ国民が同国の現状に否定的な見解を示していることから、民意による同国の方針の修正が行われることになる。ブッシュ政権以降のアメリカは国際協調に比重を置く路線に移行する可能性がある。
[編集] 地理
アメリカ合衆国は本土の48州と、飛び州のアラスカとハワイの2州、連邦直属の首都ワシントンD.C.から構成される。さらに、海外領土としてプエルトリコ、アメリカ領サモア、グアム、ヴァージン諸島などがある。
国土面積は、長らく936.4万 km2とされ、日本(37.8万 km2)の約25倍とロシア、カナダ、中華人民共和国に次ぐ、世界第4位の面積とされてきた。
本土は北アメリカ大陸の中央部と北西にあり、東側は大西洋、南側をメキシコ湾とメキシコ合衆国、西側を太平洋、そして北側をカナダで囲まれる。北側に隣接するカナダとは、北緯49度線、五大湖とセントローレンス川で国境線が引かれ、カナダを挟んで北西にさらに進むと飛び地としてアラスカがある。南側はリオグランデ川を介してメキシコと接する。大陸の東側に南北にアパラチア山脈、大陸の西寄りには南北にロッキー山脈があり、山岳地帯となっている。アパラチア山脈とロッキー山脈の間は大平原になっており、農業や牧畜業が盛んである。大陸の南東端にはフロリダ半島がある。また北西部のカナダとの国境地域には五大湖と呼ばれる湖がある。
アパラチア山脈の東側はニューヨーク、ワシントンD.C.、ボストンなどの都市があり人口集中地帯になっている。また、ロッキー山脈の西側の太平洋沿岸にもロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルなどの大都市がある。五大湖沿岸にはシカゴやデトロイトなどの大都市があるが、大陸の中西部には大都市が比較的少ない。
[編集] 気候
アメリカの気候は広い国土のために極めて多様である。最北部が北極圏に属するアラスカは、年間を通じて冷涼な気候である。一方、太平洋上の諸島であるハワイは温暖な気候で、ビーチリゾートとして人気がある。本土では、北東部から北にかけて湿潤大陸性気候が占め、冬は寒いが、夏はかなり暑い。東部から中央部は亜寒帯湿潤気候だが、グレートプレーンズ周辺や、カナダとの国境部では暑くなる日も多い。南東部から南部は温暖湿潤気候で、フロリダ南端ではサバンナが見られる。西部は一般的に乾燥していてステップが広く見られ、メキシコ国境付近では砂漠が確認できる。さらに、太平洋岸南部は地中海性気候だが、太平洋岸北部へ進むとアラスカ南東端と同じく西岸海洋性気候となる。 自然災害には、メキシコ湾岸の集中豪雨、中央部の平原に多い竜巻、南カリフォルニアの夏の終わりのスモッグと山火事、大西洋岸のハリケーン、五大湖地域その他の大雪などがある。
[編集] 自然環境
アメリカ合衆国では、在来種だけで約17,000種の植物が確認されており、カリフォルニア州だけで5,000種の植物が現存する。 世界で最も高い木(セコイア)、最も大きな木(セコイアデンドロン)、最も古い木(ブリッスルコーンマツ)は同州に存在する[3]。動物界では400種以上の哺乳類、700種以上の鳥類、500種以上の爬虫両生類、90,000種以上の昆虫が確認されている[4]。
ベーリング海峡でユーラシア大陸と、パナマ地峡で南アメリカ大陸とつながっているため、旧北区と新熱帯区とは同じ種や近縁の種を共有している。ロッキー山脈は低地の生物にとって遺伝子流動の障害となっており、ロッキー山脈の東と西では異なる種の動植物が分布する。熱帯から北極圏にまたがる国土のため、アメリカは多様な動植物相を持つ。ハワイ諸島とカリフォルニア州は世界的な生物多様性のホットスポットである。しかし、約6,500種の外来種が作為的あるいは非作為的に持ち込まれて帰化しており[5]、少数の侵略的外来種が固有の動植物の生存を脅かし、甚大な経済的被害をもたらしている。
[編集] 自然保護
アメリカにおける動植物の保護の歴史は長い。1872年にイエローストーン国立公園が世界初の国立公園に制定されて以来、連邦政府は57の国立公園とその他の国有地を保護してきた[6]。一部の地域では、人の影響を受けていない環境を長期的に保存するために原野地域(wilderness areas)が指定されている。連邦政府は国土の28.8%にあたる総面積1,020,779マイル(2,643,807 km²)を保護しており[7]、大部分は国立公園や国定森林として保護されているが、一部は原油や天然ガス、鉱産資源の採掘や牛の放牧のために賃貸されている。1973年には固有の動植物と生息地を保護するために絶滅危惧種保護法(the Endangered Species Act)が制定された。この法律に従って絶滅危惧種と絶滅危機種の現状を観察し、種の存続に不可欠な生息地を保護する機関が魚類野生生物局(The U.S. Fish and Wildlife Service)である。また、個々の州も独自に種と生態系の保全を行っており、連邦と州の協力を促す制度も存在する。魚類野生生物局や国立公園局、森林局などを統括する内務長官は大統領に任命されるため、生態系の保全も行政の他の部門と同じく政権の優先事項に大きく左右される。
2007年現在、アメリカ合衆国の化石燃料の消費による二酸化炭素の排出量は中華人民共和国に次いで世界第2位である[8]が、国民一人あたりの排出量は依然として世界第1位である。
[編集] 地方行政区分
詳細はアメリカ合衆国の州、アメリカ合衆国の地方行政区画をそれぞれ参照
アメリカ合衆国は、50の州 (state)、1の地区 (district)で構成されるが、その他に、プエルトリコなどの海外領土(事実上の植民地)を有する。 独立当時、13の植民地にそれぞれ州が置かれた。1959年にハワイ州が州に昇格されるまでの間、各地方の割譲、侵略、買収、併合を経て、現在は50州を持つ。なお、星条旗の帯は独立当時の13州を、星は現在の50州を示している。
[編集] 連邦政府直轄地
[編集] 海外領土
アメリカ合衆国の海外領土も参照
アメリカ合衆国の海外領土には、準州(テリトリー)、直轄領と自治領の他に、自由連合州(コモンウェルス)という形態がある。
- ハワイ諸島周辺(オセアニア)
- ミッドウェー諸島(直轄領) - ハワイ諸島の北西
- ウェーク島(直轄領) - ハワイ諸島の西
- ジョンストン島(直轄領 / 無人島) - ハワイ諸島の南西
- ミクロネシア(オセアニア)
- 北マリアナ諸島(自由連合州)
- グアム(準州)
- ポリネシア(オセアニア)
- アメリカ領サモア(準州) - サモア諸島東部
- ハウランド島(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北西
- ベーカー島(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北西
- パルミラ環礁(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北東
- ジャーヴィス島(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北東
- キングマン・リーフ(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北東
- カリブ海
- プエルトリコ(自由連合州)
- アメリカ領ヴァージン諸島(属領)
- ナヴァッサ島(直轄領 / 無人島) - ハイチとジャマイカの間
[編集] 主要都市
詳細はアメリカの主な都市人口の順位、アメリカの都市圏人口の順位をそれぞれ参照
人口は2007年7月1日のアメリカ合衆国国勢調査局によるデータを元にしている。ただし、アメリカの都市は歴史的背景、地理的条件などにより、必ずしも都市人口=都市規模とはならないケースが多く、短絡的に人口の多さで都市の規模を測るのは望ましくなく、併せてアメリカの都市圏人口の順位も参照した方が的確である。
| 都市 | 行政区分 | 人口 | 都市 | 行政区分 | 人口 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ニューヨーク | ニューヨーク州 | 8,274,527 | 11 | デトロイト | ミシガン州 | 916,952 | |
| 2 | ロサンゼルス | カリフォルニア州 | 3,834,340 | 12 | ジャクソンビル | フロリダ州 | 805,605 | |
| 3 | シカゴ | イリノイ州 | 2,836,658 | 13 | インディアナポリス | インディアナ州 | 795,458 | |
| 4 | ヒューストン | テキサス州 | 2,208,180 | 14 | サンフランシスコ | カリフォルニア州 | 764,976 | |
| 5 | フェニックス | アリゾナ州 | 1,552,259 | 15 | コロンバス | オハイオ州 | 747,755 | |
| 6 | フィラデルフィア | ペンシルバニア州 | 1,449,634 | 16 |
